ラベル .西岡武夫 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル .西岡武夫 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年11月6日日曜日

西岡参院議長死去:西岡議長とともに新自由クラブを結成した河野洋平前衆院議長の話

引用ここから


西岡参院議長死去:西岡議長とともに新自由クラブを結成した河野洋平前衆院議長の話

 ◇不思議な関係だった

 西岡さんとは四十数年の付き合いだった。早稲田大の先輩後輩でもあり、国会でも同じ文教族で親しくしてもらった。一緒にやっているうちに、政治がこのままでいいのかと2人で思い詰めて、(1976年に)新自由クラブを作った。ロッキード事件があり、政治不信が極まっていた時だった。当時は自民党政権が「永久政権」で、与党を飛び出しても野党は社会党や公明党しかない。行くところがないから自分たちで政党を作ろうと、一緒に(自民党を)飛び出した。

 その後私は新自クに残り、彼は自民党に戻った。彼は「基盤政党論」で、基盤政党は自民党しかないと(言っていた)。私は保守2党論だった。20年たって私が自民党、彼が民主党にいるのはちょっと不思議だった。その後私が衆院議長になり、後から彼が参院議長になった。不思議な関係だな。

毎日新聞 2011年11月6日 東京朝刊

* 秋の叙勲:受章者4079人 河野洋平氏に桐花大綬章

政治 最新記事
* 福島県議選:中間貯蔵施設7割「やむなし」…立候補予定者写真付き記事 (12時55分)
* 西岡参院議長死去:「異色」の直言で存在感 (22時08分)
* 西岡議長死去:評伝 「ミスター一徹」を悼む=岩見隆夫写真付き記事 (21時55分)
* 復興債:償還期間20~30年で…自民総裁が柔軟姿勢 (21時20分)
* 西岡参院議長死去:野田首相「大変残念だ」写真付き記事 (21時18分)



引用ここまで

原文は、毎日新聞 ニュースサイトの
【西岡参院議長死去:西岡議長とともに新自由クラブを結成した河野洋平前衆院議長の話】
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111106ddm002010103000c.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の「孫さんと菅首相
の参考記事にさせていただきました。

野田首相「参院議長後任は公正中立な方に」

引用ここから


野田首相「参院議長後任は公正中立な方に」

 民主党は5日、西岡武夫参院議長の死去を受けて、後任の議長候補の人選に入った。

 党内では、いずれも参院当選4回の直嶋正行元経済産業相や北沢俊美前防衛相らの名が浮上している。後任が決まるまでは、国会法に基づき、尾辻秀久副議長が議長の職務を代行する。

 野田首相は5日、後任議長候補について、「公正中立に(国会を)運営される方を選ぶということにつきる」と述べた。西岡氏の死去については、「突然だったので大変驚いた。(私が)学生の時に初めて政治にかかわったのは、(西岡氏らが結成した)新自由クラブの応援だった。臨時国会中の会談を申し出ていたが、かなわなかったのは残念だ」と述べた。参院議長公邸に西岡氏の弔問に訪れた後、首相公邸前で記者団に語った。

 参院議院運営委員会は5日、理事会を7日に開き、後任議長を選出する日程などについて協議することを決めた。

(2011年11月5日23時55分 読売新聞)

関連記事・情報          Powered by popIn
* 【政治】河野前衆院議長「西岡氏、まっすぐな人だった」(11月5日 21:31)
* 【政治】「まじめで一途」…西岡議長死去に惜しむ声(11月5日 19:7)
* 【政治】西岡氏の後任参院議長、来週にも選出(11月5日 15:8)
* 【おくやみ】西岡武夫氏=参院議長(11月5日 14:44)
* 【政治】「優れたリーダーシップ」西岡氏死去で野田首相(11月5日 12:37)



引用ここまで

原文は、読売新聞 ニュースサイトの
【野田首相「参院議長後任は公正中立な方に」】
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111105-OYT1T00764.htm
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の「孫さんと菅首相
の参考記事にさせていただきました。

「まじめで一途」…西岡議長死去に惜しむ声

引用ここから


「まじめで一途」…西岡議長死去に惜しむ声

 「まじめで一途(いちず)」と評され、自らが所属する民主党の政権運営への苦言もいとわなかった参院議長の西岡武夫さん(75)が5日未明、肺炎で亡くなった。

 衆参合わせ13回当選し、文相などを歴任した古参議員を失ったことに、政界や地元・長崎の関係者からは惜しむ声が相次いだ。

 横路孝弘衆院議長は5日午前、「最近は行事などに出てこないので大変心配していた。参院で与党が少数の中、議会運営にも苦労されたと思う。(菅政権批判などの)思い切った発言は、与野党が逆転している(厳しい)状況を考えてのことだったと思う」と語った。衛藤征士郎衆院副議長は「西岡さんの存在感は抜群だった。議長として一政治家として信念を貫いた人だった」と悼んだ。

 藤村官房長官は5日午前、参院議長公邸を弔問。東京都内で記者団に「長きにわたり与野党双方で活躍された大政治家が亡くなり、残念だ。高い見識と高邁(こうまい)な理想を持たれた政治家だと尊敬していた」と語った。文教族でもある藤村氏は西岡さんに指導を仰ぐこともあったという。

(2011年11月5日19時07分 読売新聞)


引用ここまで

原文は、読売新聞 ニュースサイトの
【「まじめで一途」…西岡議長死去に惜しむ声】
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111105-OYT1T00680.htm
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の「孫さんと菅首相
の参考記事にさせていただきました。

西岡議長、国会に別れ

引用ここから


西岡議長、国会に別れ

2011年11月5日16時6分

 5日未明に死去した西岡武夫参院議長は同日午後、40年以上にわたって活動した国会に別れを告げた。参院議長公邸に安置されていた西岡氏の遺体は、午後に車で公邸を出発。首相官邸前を通って国会正門から敷地内に入り、議事堂の周囲を約7分間かけてゆっくりと回った。

 正門には、参院の尾辻秀久副議長や鶴保庸介議院運営委員長、一川保夫防衛相ら議員約20人と職員らが立ち並び、車を出迎えた。尾辻氏は記者団に「子どものような純真さと青年のような情熱を持ち続けた方だった」と惜しんだ。中には涙をハンカチで拭う議員の姿も。遺体はこの後、葬儀が行われる長崎市へ向かった。 

[時事通信社]


引用ここまで

原文は、朝日新聞 ニュースサイトの
【西岡議長、国会に別れ】
http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201111050043.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の「孫さんと菅首相
の参考記事にさせていただきました。

西岡参院議長死去

引用ここから


【政治】

西岡参院議長死去
2011年11月5日 夕刊

 参院議長の西岡武夫(にしおか・たけお)氏が五日午前二時二十四分、肺炎のため、都内の虎の門病院で死去した。七十五歳だった。長崎市出身で、衆院十一期、参院二期を務めた。自宅は長崎市館内町五の一六。葬儀・告別式は七日午後一時から長崎市茂里町三の三一、法倫会館で。喪主は妻永子(ひさこ)さん。 

 参院事務局によると、参院議長が在職中に死亡したのは、一九四九年の松平恒雄氏以来二人目。国会法では、議長に欠員が生じた場合ただちに議長選挙を実施することになっており、西岡氏の出身政党の民主党は早急に人選を進める。

 西岡氏は、先の臨時国会最終日の九月三十日、参院本会議場で転倒しそうになり、口の中にできた帯状疱疹(ほうしん)の痛みで睡眠不足が続いていると説明。今国会は冒頭から本会議を欠席し、会期前半は尾辻秀久副議長が議事進行を務めることになっていた。

 西岡氏は一九六三年衆院選で初当選し、自民党に入党。七六年、田中角栄元首相が逮捕されたロッキード事件を機に離党して新自由クラブを結成、幹事長に就いた。八○年に自民党に復党後、竹下改造、宇野両内閣で文相を務めた。

 九三年、自民党が野党転落後、再び離党。以後、小沢一郎氏と行動を共にしながら、新進党、自由党、民主党に所属した。

 九八年に長崎県知事選に出馬し、落選したが、二○○一年参院選比例代表で当選。菅政権時代の一○年、参院議長に就任し、「一票の格差」是正に向けた選挙制度改革などに意欲をみせていた。

 西岡氏の死去に伴い、〇七年参院選に民主党比例代表で落選した秦知子氏が繰り上げ当選する。

最新記事
記事一覧
* 死去の西岡武夫氏 物言う議長存在感(11月6日 朝刊)
* プーチン氏 日本に特使要請(11月6日 朝刊)
* 西岡参院議長死去(11月5日 夕刊)
* 首相 交渉参加表明へ APEC前(11月5日 朝刊)
* 文科省 幼稚園行政継続 幼保一体化が後退(11月5日 朝刊)写真付き記事
* 野党反発「順序が逆」 「解散は消費増税法案成立後」(11月5日 朝刊)写真付き記事
* 首相、消費増税を表明 衆院解散は法案成立後(11月4日 夕刊)
* 復興債の償還期間 民主が再延長検討(11月4日 朝刊)
* 官房参与に高野氏 首相が起用の意向(11月4日 朝刊)
* 首相 強行突破か TPP参加 迫る期限(11月3日 朝刊)



引用ここまで

原文は、東京新聞 ニュースサイトの
【西岡参院議長死去】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011110502000183.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の「孫さんと菅首相
の参考記事にさせていただきました。

西岡参院議長が死去 菅政権の震災対応批判

引用ここから


西岡参院議長が死去 菅政権の震災対応批判

写真
9月30日の参院本会議でよろめいて転倒しかけ、橋本雅史事務総長に支えられ参院本会議場の議長席に着く西岡議長

 参院議長で1976年の新自由クラブ結成に参画した西岡武夫氏(民主党比例代表選出)が5日午前2時24分、肺炎のため東京都港区の虎の門病院で死去した。75歳だった。長崎市出身。自宅は長崎市館内町5の16。葬儀・告別式は7日午後1時から長崎市茂里町3の31、法倫会館で。喪主は妻永子さん。参院事務局によると、参院議長の在職中死亡は49年の松平恒雄氏以来。

 西岡氏は2010年7月に参院議長に就任。東日本大震災や東京電力福島第1原発事故をめぐる菅直人前首相の対応について「想定外ということで政治が逃げることは断じて許されない」と批判し、菅氏退陣を要求した。

2011/11/05 11:40 【共同通信】


引用ここまで

原文は、47NEWS サイトの
【西岡参院議長が死去 菅政権の震災対応批判】
http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011110501000095.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の「孫さんと菅首相
の参考記事にさせていただきました。

西岡参院議長死去:震災復旧めぐり菅首相に退陣要求も

引用ここから


西岡参院議長死去:震災復旧めぐり菅首相に退陣要求も

写真
参院本会議で議長に選出され、議長席に着く西岡武夫参院議員=国会内で2010年7月30日、藤井太郎撮影


 参院議長の西岡武夫(にしおか・たけお)氏が5日午前2時24分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。75歳。葬儀は7日午後1時、長崎市茂里町3の31の法倫会館。自宅は同市館内町5の16。喪主は妻永子(ひさこ)さん。参院事務局によると、在職中の参院議長の死去は、1949年の松平恒雄氏以来となる。

 西岡氏は昨年7月、参院議長に就任。民主党出身ながら菅政権下では、東日本大震災後の復旧・復興への対応をめぐり政権批判を繰り返し「お辞めになったらいい」などと菅直人首相の退陣を求めた。今年7月には衆院に内閣不信任決議案、参院に首相問責決議案を提出するよう呼びかける論文を発表。「内閣不信任案は1国会に2回出せる」との見解も表明するなど、議長として異例の発言が論議を呼んだ。

 一方、参院の「1票の格差」の是正に向けた選挙制度改革では、早期の取りまとめに意欲を示していた。

 ただ、10月20日召集の今国会は、口内にできた帯状疱疹(たいじょうほうしん)による体調不良を理由に、開会式から欠席していた。

 西岡氏は衆院11期、参院2期を務めた。早稲田大を卒業後、長崎新聞の論説委員などを経て63年の衆院選旧長崎1区で初当選。76年にロッキード事件を批判して自民党を離党、新自由クラブの結成に参加し、幹事長に就任した。80年に自民党に復党後、竹下、宇野内閣で文相を務めたほか、党税調会長や総務会長などを歴任した。

 政治改革をめぐり93年に再び自民党を離党し、94年の新進党結成に参加。98年の自由党結党には副党首として参加するなど、小沢一郎民主党元代表と行動をともにしてきた。98年、長崎県知事選に出馬したが落選。01年参院選の比例代表で当選した。03年の民主、自由両党の合併に伴い、民主党入りした。【須藤孝】

毎日新聞 2011年11月5日 11時38分(最終更新 11月5日 13時45分)

* <写真で見る>在りし日の西岡参院議長
* <西岡参院議長>今国会前半は欠席へ 帯状疱疹が回復せず
* <質問なるほドリ>国会議長って何をする人?
* <写真で見る>自民党新三役の西岡武夫総務会長(当時)ら=1990年撮影
* <2011レクイエム さよならあの人>今年亡くなった人



引用ここまで

原文は、毎日新聞 ニュースサイトの
【西岡参院議長死去:震災復旧めぐり菅首相に退陣要求も】
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111105k0000e010041000c.html?toprank=onehour
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の「孫さんと菅首相
の参考記事にさせていただきました。