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2011年9月23日金曜日

熱中症 終わらぬ闘い 福島第一原発 作業員に細心ケア

引用ここから


【社会】

熱中症 終わらぬ闘い 福島第一原発 作業員に細心ケア
2011年9月7日 夕刊

 秋の気配もしてきたが、福島第一原発の事故現場では、防護服にマスク姿の作業員たちを苦しめる蒸し暑さは相変わらず。いまだ熱中症や脱水症状に襲われる恐れもあり、十分なケアが求められる。 (片山夏子)

 原発敷地は広大だ。東京電力が作業員の休憩所を十カ所設置しているが、いざというときには遠い。そこで、協力会社も作業場近くに小型の休憩所の整備を進めている。

 ユニークなのは、東芝とIHIが用意したバス型の休憩所。

 観光バスの座席を外してワンルーム状にし、発電機の電気でエアコン二台が車内を冷やし、飲料水などが入った冷蔵庫二台が動く。トイレや、放射性物質を除去する空気清浄器も備えている。

 入り口の脱衣スペースで防護服を脱いでしまえば、車内で水分を補給するなど体を休められる。作業場所が変わっても、基本的にはバスなので、丸ごと移動すれば済む。

 プレハブ式のものなど、現場の需要に応じてさまざまなタイプが登場。炎天下でも、汗もぬぐえない作業員からは、「作業場の近くなので、とても助かっている。それまでは水もトイレも我慢するしかなかった」と歓迎する声が聞かれる。

 一方、これまで福島第一原発で熱中症や脱水症状の疑いと診断されたのは四十一人いる。

 東電によると、四十代が最も多いが、二十代、三十代の若手も多い。ベテラン作業員は「勤務時間が不規則だったり、短かったりして、若手が時間を持て余して不摂生をしていることも原因の一つ」と指摘する。

 「早出だと朝は早いが午後の早い時間に帰れる。酒を飲み過ぎたり、ゲームに熱中したりして睡眠不足になると、熱中症になりやすい」。厳しい現場だけに“しっかり休む、しっかり食べる、飲み過ぎない”がより大切なのだという。

 若手からは「若いくせに何言っているんだと言われ、無理をしてしまう」と、現場の雰囲気が若手の熱中症につながっているとの声も上がる。

 いずれにせよ、防護服に全面マスクの苦しさは共通だ。

 「あごに汗がたまって、耐えられずマスクを開けてしまった」「トイレが我慢できずに防護服の前を開け、用を足した」「こっそり水を飲んだ」

 被ばくにつながるような状況を示す話も少なからずある。原発の収束作業は長期にわたることは確実なだけに、さらなる作業員の健康管理が求められる。


引用ここまで

原文は、東京新聞ニュースサイトの中の
【熱中症 終わらぬ闘い 福島第一原発 作業員に細心ケア】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011090702000175.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の「常に生まれている被曝者
の参考記事にさせていただきました。

原発作業員2人が熱中症 計22人に 福島第一

引用ここから


2011年7月6日19時12分
原発作業員2人が熱中症 計22人に 福島第一

 東京電力は6日、福島第一原発で同日午前、下請け会社の作業員2人が熱中症の症状を訴え、敷地内の救急医療室に運ばれたと発表した。同原発の復旧作業で熱中症になったのはこれで計22人になった。

 熱中症の疑いで搬送されたのは、1号機タービン建屋でケーブルの敷設工事をしていた20代男性と、西門で入所者の出入り管理をしていた20代男性の2人。今月1日に原発敷地内に開設された救急医療室で点滴を受けたという。

 また、4号機付近で作業していた別の下請け会社の作業員が、階段を踏み外して右ひざに軽いけがを負った。


引用ここまで

原文は、朝日新聞ニュースサイトの中の
【原発作業員2人が熱中症 計22人に 福島第一】
http://www.asahi.com/national/update/0706/TKY201107060477.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の「常に生まれている被曝者
の参考記事にさせていただきました。

2011年7月26日火曜日

原発作業員:「被ばくでがん」労災10人 50ミリシーベルトの息子も…嘆く母

引用ここから


原発作業員:「被ばくでがん」労災10人 50ミリシーベルトの息子も…嘆く母

 東京電力福島第1原発事故で収束作業にあたる作業員が緊急時の上限250ミリシーベルトを超えて被ばくするケースが相次いだが、過去にがんを発症して労災認定された原発作業員10人のうち9人は累積被ばく線量が100ミリシーベルト以下だった。遺族からは福島第1原発の作業員を案じる声が上がる。【池田知広、関谷俊介、袴田貴行、西嶋正信】

 ◇白血病で死亡、嘆く母「上限250の福島さらに危険」

 厚生労働省によると、10人は作業中に浴びた放射線を原因として労災認定された。内訳は白血病6人、多発性骨髄腫2人、悪性リンパ腫2人。累積被ばく線量が最も高かった人は129・8ミリシーベルト、残り9人は100ミリシーベルト以下で、最も少ない人は約5ミリシーベルトだった。

 中部電力浜岡原発の作業員だった嶋橋伸之さんは91年に白血病で亡くなった。29歳だった。神奈川県横須賀市に住む母美智子さん(74)は、体重80キロだった嶋橋さんが50キロにやせ衰え、歯茎からの出血に苦しんでいた姿が忘れられない。

 嶋橋さんは下請け会社で原子炉内計測器の保守点検をしており、累積被ばく線量は8年10カ月間で50・63ミリシーベルトだった。

 死亡の半年後に戻ってきた放射線管理手帳は、赤字や印鑑で30カ所以上も被ばく線量などが訂正されていた。白血病と診断された後も被ばくの可能性のある作業に従事可能なことを示す印が押され、入院中に安全教育を受けたことになっていた。安全管理のずさんさに怒りがわいた。

 「福島の作業員は命を惜しまずやっているのでしょう。でも、国や電力会社は家族の心も考えてほしい。『危ない』と聞いていれば伸之を原発になど行かせなかった」と美智子さん。「何の落ち度もない労働者が亡くなるようなことはあってはならない。上限値はすぐに下げるべきだ」と訴える。

 そもそも原発での被ばく労災が表面化することはまれだ。市民団体「福島県双葉地区原発反対同盟」の石丸小四郎代表(68)は震災前、福島第1原発の作業員6人の被ばくによる労災申請を支援し4人が認定されたが、実名を公表したのは2人だけ。「原発の恩恵を受けているとの思いがあり、狭い地域社会の中で補償支給を知られたくない人が多い」と指摘する。

 がん以外の場合には認定自体に高いハードルがある。福岡市の元溶接工、梅田隆亮(りゅうすけ)さん(76)は79年2~6月に中国電力島根原発(松江市)と日本原子力発電敦賀原発(福井県敦賀市)で働いた。その後、突然鼻血が出るなどの症状が表れ、慢性的な倦怠(けんたい)感が続いた後、00年に心筋梗塞(こうそく)で倒れた。被ばくが原因ではないかと疑念を深め、08年に労災申請したが、認められなかった。累積被ばく線量は8・6ミリシーベルト。再審査を請求している梅田さんは「原発労働者が事業者の都合にいいように扱われている。このままでは自分のようなケースがどんどん生まれてしまう」と懸念する。

 被ばくによる労災認定に明確な基準があるのはがんでは白血病のみ。「年平均5ミリシーベルト以上の被ばく」と「被ばく後1年以上たってから発症」の2点。他のがんは厚労省の検討会が判断する。

毎日新聞 2011年7月26日 東京朝刊

* 【動画】50ミリの息子白血病死 母の怒り


引用ここまで

原文は、毎日新聞ニュースサイトの中の
【原発作業員:「被ばくでがん」労災10人 50ミリシーベルトの息子も…嘆く母】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110726ddm041040047000c.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の「常に生まれている被曝者」の参考記事にさせていただきました。

2011年5月29日日曜日

隠された被曝労働

引用ここから


樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(6)隠された被曝労働
2009年7月 6日 12:38

さて、もう少し具体的に話をさせてください。

まず、被曝の原点はなんと言っても岩佐嘉寿幸さんです。1974年のことですから、もう30年も前にさかのぼります。被曝の事実を知って私は岩佐さんのところに行きました。彼は怒ってました。私以上に怒ってました。最初はうちの中に入れてくれませんでした。

「なんだ、オメーは! アサヒと同じか!」って言うもんだから、ぜんぜん分からない。それから「オメーは東京か」っていうから、「東京です」って答えると、「何やってんだ!」って言うんです。

「実は四日市公害の取材を7年やって本を出したんです。こういう問題を実はやらないでどっかに逃げようかと思ったんですが、岩佐さんの裁判に一度は触れておかなくてはならんと、それから考えようと思って」って言うと「そうか、じゃあ上がれ」って言ったんです。それで怒ってる意味が分かったんです。

ここに朝日新聞があります。1974年4月18日木曜日付け、「みんなの科学」欄。これ、何て書いてあったと思います? 「初の原子力炉被曝訴訟 謎だらけの皮膚炎」なんて書いてあるんですよ! まず、これを書いた記者を紹介しなきゃね。マスコミには、いろんなのがいるので。

朝日新聞科学部に、東大哲学科を出た大熊由紀子って、後に論説委員にまでなった人がいるんです。その後どこに行ったかと思って尋ねたら朝日新聞にいないって言うから、テレビ朝日の連中に調べてもらったら、大阪大学の教授になってるの。その女性が書いた記事です。

この記事で岩佐さん怒っちゃたんだよね。岩佐さんに取材なんかしてないんだよね。国側だけを取材したんだよ。こんな記者ありますか? いくら俺だってちゃんとしますよ。でもこの大先生、記者なのに一方通行。

これで私も狂っちゃたんですよね。東大の哲学科まで出た、朝日新聞の科学部の記者がこんな記事書いて、これで真実なんか報道できるわけないじゃないかって。実はここで腹が決まったんですよ。「よーし、俺がやってやろうじゃないか」って。なんの力も金も頭もないけどさ、やれるところまでやってみようと。


それから悪戦苦闘です。だって何にも知らないんだから。岩佐さんにだってバカにされましたよ。「俺、100ミリレムしか浴びてねぇ。おい、お前分かるか?」って言うから「わかりません」って言うと、「お前、阪大の岡村日出夫って助手のところ行って勉強してこい」って言われたんですよ。

「はい、わかりました」って、大阪に来て阪大に行ったんですよ。で先生に会って、「先生、放射科学について教えてください」って言ったら無料で教えてくれました。これが原点だったんです。岩佐さんに会わなかったら今、こんなことやってませんよ。

それと、ジャーナリズムです。大の朝日ですよ。国民のほとんどは朝日新聞をとってます。信用してます。それがこんなことやってたんだから、最初から。これは面白くなると思いましたね。そしたら面白くなっちゃった。それで、このあと、この女、逃げ回ってたんです。

岩佐さんとテレビ朝日に呼ばれたことがあったんですけど、その時、テレビ朝日に、「この記者出せよ、お前たちのとこのもんだろう」って言ったんですけど、結局逃げちゃったんですよね。樋口と岩佐に噛みつかれたら損だと思ったんでしょう、頭のいい人だから。

さて、岩佐さんはそれから11年間闘いました。知らなかったでしょ? 1974年4月15日に大阪地裁に提訴して、それから、最初の判決は1980年3月30日、全面棄却。

当たり前じゃないですか。これを支援した人はどれくらいだったと思います? 全国ネットで138人しかいない。僕も含めて。これじゃあ裁判は勝てませんよね。それから高裁、最高裁に行って全部棄却でした。

時代が悪かったね、70年代だもの。高度経済成長の時代、「何を言ってるんだ」ってもんでしょう。それでも、これを見続けよう、伝え続けようと決心しました。もう、売れる写真家になろうなんて考えなかったね。これが俺の生き方まで決めてくれました。

そして、岩佐さんの後を引き取ったのが、西淀川に住んでる、長尾光明さんです。78歳。この人が今、東京電力を相手に提訴しています。何かの時には、署名してください、お願いしますよ。

そいうことで、岩佐さんと出会って次に言われたことは、「おい、樋口さん、お前知ってるか? 金の出る裁判があるんだ」って。まさか原発会社がそんな汚いもんだとは思ってもみなかった。クリーン、安全、現代科学の粋を集めたって言ってるでしょ、一方では。だから金で裁判するなんて思ってもみなかった。俺も能天気だったね、当時は。

僕だって最初は国が言うとおり信じてたんですから。クリーンで安全で、わずかな恨みを生んでも、何十万キロワット発電できたらいいじゃないかって思うくらいのレベルだったんですから。それが原点ですよ、言ってみれば。ここで懺悔しなきゃいけないと思います。たまたま岩佐さんに会わなかったらその程度で終わってたんですからね。

で、岩佐さんから、「おい、樋口さん知ってるか? 琵琶湖の近くで、どのくらいの金かわからんけど、俺と裁判を共闘しようとしたら、奥さんが丸めこまれたかなんかで裁判をつぶされた奴がいるんだって。知ってるか?」って言われて、「知るわけないじゃないか! 岩佐さんは知ってるのか?」って聞いたら、「いや、岡村日出夫さんが言ってるんだ」って。

岡村日出夫さんって人は今はもう事故で亡くなったんですが、この先生のところに行って聞けって、相手の住所も分かってるはずだからって言われて。岡村さんから住所を聞いて、その人のところに行ったんです。夜の7時くらいにやっと捜し当ててたんです。

大阪の岡村先生と岩佐さんから紹介されて来ましたって言ったら、「はぁ?」なんて言ってね。そりゃあ「はぁ?」って言いますよね。変なのが来たって思ったでしょうね。

「実は私、こういう者で、取材をさせていただきたいと思って来たのですが」って言うと、最初は迷惑って顔してましたよ。でもね、「岩佐さんが一生懸命裁判やっているのをご存知ですね」って言うと、「じゃあ、まあ入りなさい」と入れてくれました。

すでに生活が破壊されてて、自分のわずかな田畑と家を手放して、借家に奥さんと女の子の子供3人と住んでました。子供はまだ小さくて、「一番下の子は俺が被曝してからできた子なんだよ。この子がいちばん気がかりだ」って言うんですよ。重い十字架を背負って生まれたんですよ。

最初はお金の話は一度も出ませんでした。ところが、2度3度と行ったら、押入れの上から書類を持って見せてくれました。これが示談書だって。この書類を廃棄しろって言われてたんだけど、残してたんだって。600万円もらってもう終わったんだから書類を廃棄しろって言われてたけど、何かの役に立つかもしれんと残しておいたんだそうです。

そしたらそこに部落解放同盟の名前が入ってたんです。ここが仲立ちしたんです。これはおそらく、村居さんが部落民だから、彼のために会社から金をとってやろうという思いで、金をとったんだと思いますよ。それで600万円を受け取ったんだろうね。1回の振り込み額はそれぞれ違いましたが、銀行振り込みで3回にわたって振り込んでありました。「村居さん、これを使ってもいいか」って言ったら、「これは真実だから使っていい」って言いました。勇気のある男がいたもんだね。感動しましたね。

でもここで、なんてことだろう、なんでこの人たちもお金なんて受け取ったんだろうって思いましたね。このときは俺も泣いたよ。この社会って腐りきってるんじゃないかって。でも、そのあと部落解放同盟は被曝問題には絶対に手を出さなかった。

これを知った大阪にある部落解放同盟の本部が、僕に村居さんについての原稿を書いてくださいっていってきました。二度とこういうことがあってはいけないからって。で、被曝労働について書きました。これで全国の解放同盟の人は僕の記事を読んだんでしょう。

九州で講演したときに、解放同盟の青年が来て、「樋口さん、樋口さんの話は本当ですか?」って聞くんです。「嘘を言ったら一発でクビが飛ぶんだよ、俺らの世界は」って言いました。そしたら「間違いありませんか。そうですか、非常に残念です」っていうまじめな青年がいるもんです。これを契機にして、部落解放同盟は手を染めなかったんだよね。でも、よかったね。偉い人たちだと思います。もし、あれを隠蔽してたらもっといろんな問題が出たと思います。

裁判を起こそうとして、村居さんの奥さんは丸めこまれちゃったんだよね。生活は逼迫してどん底にいたんですから。それで電力会社はね、奥さんに、「今、大阪で裁判を起こしてる人がいるけど、この裁判は長くなるよ」って、「あんたら裁判起こしたらどうなんの? お金のほうがいいだろう」ってまず奥さんを説得したわけです。本人よりも。本人が外出してる間に。本人はおそらく、先ほど話した岡村さんと裁判について話してたんでしょう。

奥さんも生活に疲れきってね、本当にぼろぼろになって。そこを突かれたんですね。それでも村居さんは、いつも会えば「いや、女房が可愛そうだ」と、そうやって俺に言うわけですよ。奥さんを庇ってね。

この裁判を潰す犯罪を担った一人が重松教授。「異常無し」とカルテに書いてしまった。この人は後にね、この問題が吹き出してきたから首つり自殺をしてます。いたたまれなくなったんだろうね。追求もされたんでしょう。「異常無し」カルテの裏は金。教授もたった百万円しかもらってないのにそんなカルテを書いちゃった。これは村井さんが職員から聞いてんだよ、駄目だな。

もうひとつ、金で裁判潰されたケースは北九州の親方だよ。

この人ですよ! 「俺らがいい加減な検査や提携やってるから・・・ 3か月やそこらで点検なんか終わるかよ。きちんとやったら6か月や1年はかかるぞ、樋口さん」って言ってたのは。

だから、去年の美浜原発の事故が起きたときは、「親方言った通りじゃねえか、肝心な所やってねえんだ」と僕は言いました。すげえね、これから一杯起きる可能性があるって事だ。

この親方は、自分が入らなきゃ良かったのに真面目な男だったから。普通は労働者連れてくりゃ、その数だけピンハネする訳で。

俺言ったの。「労働者は皆ピンハネしたんですか?」ってね。そしたら怒ってさ、「いや樋口さん、そう言うけどウチみたいな7人ぐらいの会社じゃ、こうしないと盆と暮れのボーナスも出せない。それはきちんとさせてもらってますよ」って。自分も働けばもっと金が入る訳でしょ。「ああ、すいません」って謝りましたよ。でもピンハネには違いないんだけどね。

この人も裁判起こそうとしたんだけど、この人の時はすごかったね。暴力団が毎日、脅迫電話をかけて生活を脅かしたんですよ。それで奥さんがノイローゼになっちゃってね。

最後は日立プラントがわざわざ行ってるんですよ。課長が本社から。親方に直接仕事を回していた、井上工業って下関のひ孫請け会社の社長といっしょに、親方の家に行って、強引に連れ出して。九州大学連れ込んで、ここで異常無しカルテまた書いた。

わずか106万円で裁判潰しやがった。ひでえ事やってやがんな、この奴らは。その時の資料はちゃんと持ってますよ。まさに闇の世界。原発ってとんでもない事やってるんですよ。皆さん考えてるようなもんじゃないよ。

俺は村居さんの所に最後に行ったのは95年だったけど、「樋口さん、俺もあれから周りの話を色々と聞いてる。3000万円もらった、4000万円もらった・・・ それで皆黙らされた。自分はわずか600万円だったから悲しみを表に出せる」って言ってました。

こういう風に、現実に人を潰していく時に、必ず裏に医師達がいたんですよ。裏は取ってあるんだよね。先ほどの高校生のアルバイト、これは氷山の一角でしょう。労災認定はわずか6例だけど、岩佐訴訟が11年間闘ったおかげで、あの暗黒労働が引き出された訳ですよ。これで国の連中も、労働省も含めて、やっと6例を認定するようになったんだよね。でなきゃ労災認定なんか出来ません、しなかったと思います。岩佐さんが、そういう意味で先駆者なんだよ。

でもこの数にJCOと去年の美浜は入ってませんよ。「原発被曝」じゃないから。それを入れると、3人と5人だから8人プラスだけどね。今までの被曝労災認定は、唯一長尾さんを除いて、全部白血病です。他のガンは全部不認定。

他のガンを認めたら、「俺も助けろー、俺も助けろー」って、この国つぶれるでしょう。労災認定って、一人認定するといくら払うかご存じですか。1千万? 違う、3千万払うのよ、皆さん。もしこれをバカバカ認定してごらんなさい、国がつぶれちゃうよ。えらい事になってるんだよ。だから隠せるだけ隠そうとしてるんだって。それでバレたらバレたでしょうがないや、と。皆で責任とろうやって言ってるんじゃないんです。

すべてが明らかになるのは、僕が死んだ後だ。その時に「樋口ってのが言ってたね?」ってなるんだ。コレ本当になるよ、なるに決まってるんだから。

もっと知りたかったら俺の本の『闇に消された原発被曝者』、これを読んでいただきたい。たくさんの被曝者の証言が一杯入ってるから。色んな形で潰れていった連中、これはまた読んでいただきたい。俺ここで全部喋ると本が売れなくなるから止めた(笑)。冗談抜きで読んで下さい。

(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)


引用ここまで

原文は、ブログ『Liberal Utopia 持続可能な世界へ』の
「樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(6)隠された被曝労働」
http://ihope.jp/2009/07/06123825.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の
経済界も変わっていく
孫さんに期待
常に生まれている被曝者
原発マネーの幻想
などの参考記事にさせていただきました。

2011年4月21日木曜日

『原発労働者40万人が被ばくの実態』ジャーナリスト樋口健二氏の2005年講演、文字おこし記事まとめ

引用ここから


『原発労働者40万人が被ばくの実態』ジャーナリスト樋口健二氏の2005年講演、文字おこし記事まとめ



左の写真は原発の内部で働いている労働者。何もこぼれていない床を雑巾がけしています。なぜか……それは、床に付着した放射性物質を拭う必要があるからです。



撮影した写真家の樋口健二氏は、以下のように語っています。

『僕のこの写真がスクープになったんですよね。撮っちゃいけないところで撮ったんですよ。誓約書を破って撮った写真です。そうしなきゃね、マスコミなんてみんな記者クラブで、「はい、ここ撮ってください」って言われたところを一人が行って代表撮影するだけ。これじゃあね、何も写せるわけないじゃないですか。』

樋口氏の講演は、今回の原発事故よりから、原発内で作業する多くの労働者が被ばくしていることを伝えている。その人数はなんと……40万人……。樋口氏の講演から、鋭い言葉を紹介いたします。


樋口氏は、30数年、原発のみを取材してきたジャーナリスト・写真家だ。(参考:wikipedia「樋口健二」)今はもうずいぶんお年をめしているようだ。福島原発事故が関心を集める今、表に出てこないのは、体調がわるいからか。はたまた他の理由があるのか。

以下、2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて樋口氏が行った講演の文字おこししたブログのリンクと、印象的なフレーズを引用します。

【1】みんな原発はコンピューターで動いていると思ってしまった
『原発は全国の労働者を必要としていますから。何百万という人間が原発には必要なんですから。この話をしないから、みんな原発はコンピュータで動いているという認識を持ってしまったんですよ。』
『僕に言わせると、いちばん悪かったのはジャーナリズムです。』
■樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(1)巨大原子力産業がマスコミをコントロールしている - Liberal Utopia 持続可能な世界へ


【2】マスコミは、40年以上前、原発が安全クリーンだと大合唱
『1966年7月25日のことです、東海原発第一号炉に火が入ったのが。』
『このときのマスコミは恥ずかしいよね、私もマスコミの一員として。新聞はどんなことを書いてると思います? 次代を担うとかね、安全でクリーンだとか、みんな書きまくってたんだよね。その裏で被曝はすぐに始まってるんですよね。』
『今、40万人の人が、被曝してるんですよ。これをほったらかしにしている国民も含めて、この国は何だろう? これで文明国家と言えるのかと、』
■樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(2)40万人もの労働者が被曝した - Liberal Utopia 持続可能な世界へ


【3】原発の数は25基? いえ53基。ドイツはあっさり全部やめた
『今、原発は53基あります。1995年時点で53基です。…(略)…学生に原発はいくつあるかときくと、大概は15基か、多くて25基くらいかなと返事が返ってくる』
『ドイツなんかすごいですよ、あっさり原発をやめたんですから。そのドイツの人たちが私に賞をくれた』
『電力会社が原発を動かしてるわけじゃない。どこの国でも財閥がやってるんですよ。』
『そのいちばんの問題が第5福竜丸ですよ。報道されたのはあの一隻だけだったでしょ。ところが、実際は1000隻近くの被曝船があった』
『被曝マグロは日本に持ってきて全部埋めたんですよ。知らなかったでしょう。みんなアメリカの力で抑えた』
『僕なんかなんと言われてたか。「異端なカメラマン」なんて言われてたんですよ。異端だって。真実を追究してたのに。』
■樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(3)第5福竜丸以外にも1000隻近く被曝 - Liberal Utopia 持続可能な世界へ


【4】原発は、財閥と大企業と暴力団が支えている

『原発というのは電力会社、その下に元請けがあって、これが日本の経済を根底から支えている東芝であり、日立であり、三菱重工、住友です。』
『 原発労働者の日当も言っておきますね。約7万円です。今でも。7万円というのは原発が労働者一人当たりに払う額です。それをピンはねしてみんなで食い物にしてるんです。』
『 下請けがあり、孫請けがあり、ひ孫請けがあり、人出し業がある。この大阪にも人出し業の親方がたくさんいます。親方が原発に労働者を送れば、労働者一人につき3万円が下りてきます。これを親方が2万円ピンはねするんです。労働者には1万円しか渡してないんです。』
『この親方連中の中に、暴力団がだいぶ入り込んでますね。』
『かつて、京都府の綾部市で暴力団が高校生のアルバイトを原発労働に使ってたってたんです。』
『一人は16歳、あとの二人は17歳。なんで入れたと思いますか?』
■樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(4)16歳の少年も原発で働いていた - Liberal Utopia 持続可能な世界へ


【5】ボロ雑巾で床を乾拭きする、それが放射能の除洗作業
『下請け労働者の作業内容も言って、本題に入っておしまいとします。それは、放射能の除洗作業です。ボロ雑巾で何もない床を拭くだけなんですよ。』
『放射能の除洗、パイプの補修、パイプの掃除をやるとき、この作業服を毎日捨てたら何万円もするから、毎日、大型洗濯機で洗うんですって。』
『この原発のヘドロは放射能ヘドロですよ。これをかい出しては核廃棄物処理運搬です。』
『2003年までの資料しか国は出してきませんが、総労働者数が156万人を突破しました。原発に関わった労働者が四分の一、五分の一と見積もっても、40万人からの被曝者がいるんだって、この国には。』
■樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(5)労働者が手作業で放射能を拭き取る - Liberal Utopia 持続可能な世界へ


【6】

この章は、心がえぐられる。引用するところがない。引用しようとすると、全文引用しなくてはいけない。だからリンク先をじっくり読むことをおすすめします。

■樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(6)隠された被曝労働 - Liberal Utopia 持続可能な世界


【7】皆頭がパー。労働者を殺して平和を買い、何も考えず生きている。
『被曝の暗黒部分ってのは皆さんの想像以上。何も考えなかったら、この国は良い国だね。社会問題考えなかったら、僕は良い国だと思うよ。頭パーで生きてたら。だってニートとかいって、働かないで85万人生きてるんだよ。』
『被曝を本当に問題にしたら青くなるよ。「人を殺すのだけは止めましょう」って。それでもエネルギーが欲しいんですかって。自分達だけ平和を買って、労働者を潰して、殺して、今だってそうして動いてるんですよ、実際は。』
■樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(7)田中角栄と柏崎刈羽原発 - Liberal Utopia 持続可能な世界へ


【8】オレが死んでも、写真と文章が残る。これからも貫いていきたい。
『今、どこも閉塞してるでしょう。これを打開するにはどうしたらいいですか? 今の価値観全部捨てましょうよ。そこから立ち直ってくるんだよ。』
『俺は死んだって何も残らないけど、写真と文章は残るから。それしかないんだよね、後は何もないよ。死ぬまでのたうち回っていこう。そういう生き方を、これからも貫いていきたいとつくづく思っています。』

■樋口健二氏講演「ヒバク~放射能の恐怖」(8)質疑応答よりとっておきの裏話を - Liberal Utopia 持続可能な世界へ


※この事実を多くの人に伝えたいと願う。この記事をあなたのブログやTwitterで紹介していただければ幸いです。


引用ここまで

原文は、zamamiyagareiさんのブログ『ざまあみやがれい!』の中の
『原発労働者40万人が被ばくの実態』ジャーナリスト樋口健二氏の2005年講演、文字おこし記事まとめ です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。

ひなげし陽気』の中の
孫さんに期待
常に生まれている被曝者
経済界も変わっていく
変わりつつあるメディアの原発報道 2
などの参考記事にさせていただきました。