引用ここから
先天性の異常
2011-07-31 | 放射能関連情報
5月14日付の記事「低レベルの放射能でも危険があります」でも少し触れましたが、先天性の異常についてです。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/2ac51efe091604740fad16a57e40b92f
チェルノブイリ原発事故が起きた後、先天性の異常を持った子どもが放射能汚染地域でたくさん生まれたらしいが、これから日本で出産してもいいのかどうか悩む方々からのメールが届いています。
1996年に原子力資料情報室が発行した「チェルノブイリ10年」という本にベラルーシ遺伝疾患研究所、広島大学原爆放射能医学研究所による「事故後のベラルーシにおける先天性胎児障害」という報告が載っています。
1986年の事故後、この年は確かにべラルーシで中絶する人が増えました。しかしもともとベラルーシは中絶の件数が多い国です。(理由の多くは、経済的に育てられない、望まない妊娠だった、中絶手術費用が無料か、あるいはとても安いことが多い・・・などです。)
放射能の影響を恐れて、中絶したという人も1986年にはもちろんいました。
そのため、本来なら異常を持って生まれてきたはずの子どもが、生まれないことになったので、誕生した子どもだけを対象にして、先天性異常の発生の割合を計算すると、それはあまり正しくないのではないか、という指摘があります。
ベラルーシの遺伝疾患研究所はそういうことを踏まえ、中絶された胎児をサンプルとして集め、顕微鏡で観察し、異常があるかどうか調べました。
その結果、事故前のミンスク市の調査結果を基準にすると、放射能汚染地域では胎児の異常が、1986年後半から1992年までの調査結果の場合、有意に5%増加していました。
多く見られたのは口唇裂、口蓋裂、腎臓異常、尿管異常、多指症だそうです。
事故後生まれた新生児については高汚染地域(セシウム137が1平方キロあたり15キュリー以上)で先天性の異常が増えました。事故前と比べ79%増えています。
また高汚染地域では1987年と88年に発生のピークがありましたが、他の地域ではピークはなかったそうです。
特に増加したのは多指症、複合的形成不全症だそうです。
1986年12月から1987年2月に生まれた子どもは、事故発生時は胎児だったはずです。しかし他の時期に生まれた子どもと比べて先天性障害はほとんど増えていません。つまり原発事故が起きたとしても、胎児には放射能はあまり影響を与えない、ということです。
(ただ妊娠期間のごくごく初期だった場合は放射能により胎児が影響を受ける可能性があります。)
胎児のときに母親の体内で被曝するよりも、事故が起こってしばらくしてから、被曝した親の生殖細胞が突然変異を起こすと、より遺伝的影響として先天性の異常が子どもに現れるのではないか? とも言われています。しかしはっきりしないことも多いです。
私の意見ですが、以上のベラルーシでのデータがそのまま日本のケースとして当てはまると仮定すると、今妊娠されている方が、放射能を心配するあまり「障害児を生みたくないから。」とあわてて中絶されるのは、やめておいたほうがいいと思います。
それよりも、これから妊娠される方(特にここ1、2年の間)のほうが、妊娠中の経過を注視するほうがいいと思います。
同じく原子力資料情報室が2006年に発行した「チェルノブイリを見つめなおす・20年後のメッセージ」という本には「遺伝的影響と胎内被曝影響」という記事があります。
ベラルーシ先天性疾患研究所によると、1987年1月にダウン症の子どもが急激に増え、その後またピークが1990年5月に起きた、とあります。
つまり1987年1月生まれの新生児ということは(早産の可能性もありますが)1986年4月の事故当時、母親はごく初期の妊娠時期だったと思われます。
その後急に起きた1990年5月のピークですが、これは事故発生からほぼ4年目です。どうして急にこの時期だけ増えたのか説明はありませんでした。
(事故当時ハイティーンだった年齢の子どもが成人して、出産した結果ではないか、という意見もありますが、このデータだけでは出産したときの年齢が分からないので、何とも言えません。)
また先天性の障害は放射能に関係なくても起こり、その頻度は6%、とあります。つまりもし、日本で今後
「放射能被曝のせいでうちの子が異常を持って生まれた。賠償してほしい。」
と訴えるケースが出てきても、放射能との関連性は不確定であるとされ、賠償など受けられない可能性のほうが高いと思われます。
1996年に読売新聞の記者と同行してベラルーシ遺伝疾患研究所の所長さんとお話したときには、
新生児1000人当たりの先天性異常の発生頻度を平均し、グループを「1982年から85年生まれ」と「1987年から1995年生まれ」に分けて推移を調べると、
放射能汚染度が1平方キロメートルあたり「15キュリー以上」の地域だと、3.87から7.07に増えていました。
「1−5キュリー」の地域では4.57から6.90に、「非汚染地域」とされている地域でも3.90から5.84に増えていました。
つまりだいたい1.5倍から1.8倍ぐらいに増えていることになるのですが、気になるのは「非汚染地域」でも1.5倍ほど増えている点です。
これは汚染地域に住んでいなくても、汚染された食品を食べていてはいけない(自分から生まれる子どもに影響が出るかもしれない)ということだと思います。
以上のようなことを読まれると、心配になってしまう人もいると思います。
しかし、、障害によってはもともとの発生頻度が少ないものもありますから、それがあなたのお子さんに発生する可能性が放射能のせいで発生頻度が2倍になるとしても、確率で言うとかなり少ないほうだと思います。
つまり今まで1000人に1人の割合で生まれていた先天性の異常が、1000人に2人の割合になったとします。数字だけ見ると倍増していることになります。倍増、と聞くと何だか深刻な感じがしますが、1000人中999人が健康に生まれてきたのが、998人になるだけの話です。
こうして見方を変えると、そんなに違いはないな、と感じます。そして心配して、子どもを生むのはやめよう、と思うのはやめておいたほうがいいと、私は思います。
また以上のデータはベラルーシの場合であって、日本にそのまま当てはまるとは限りません。
チェルノブイリ原発事故が起きたとき、ロシア人の間では
「ベラルーシ人はこれからどんどん死んでいく。ベラルーシ民族は滅亡する。」
と言われました。
実際には事故が起きて5年後には独立国家をつくり、今も滅亡することなくちゃんと国も民族も存続しています。
私も日本民族が原発のせいで滅亡するとは思いません。
さらに日本のほうが医学が進んでいますから、もし障害のあるお子さんが生まれても、障害の種類によってはきれいに整形手術(多指症の場合、余分な指を切除したりする)して、治ったりする場合もあるわけです。
ですので、「将来子どもを生んでいいものかどうか。」と若いご夫婦が悩んでいたりしますが、あまり深刻に考えすぎないほうが(精神的にも)いいかと思います。
しかしながら、障害児より健康な子どもを生みたい、と思う人の気持ちもよく分かります。
とにかく今は親になる世代が被曝しないように注意し、対策をとっておくほうがいいと思います。
それからベラルーシの場合、先天性の異常だけが問題になっているわけではありませんから、とにかく被曝を最小限にするように気をつけてください。
引用ここまで
原文は、ブログ『ベラルーシの部屋ブログ』の中の
【先天性の異常】
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/7607788714646a17704380e7b288626f
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット 」
の参考記事にさせていただきました。
2011年10月4日火曜日
ベルラド研究所について
引用ここから
ベルラド研究所について
2011-07-13 | 放射能関連情報
先ほどの投稿記事でご紹介した松永さんの記事内で、ベルラド研究所のことを民間組織でビタペクトを販売している、と紹介しています。
つまり、ベルラド研究所は民間組織でビタペクトを販売し、売上金を得るためにビタペクトを販売し、売り上げを上げるためにペクチンが放射能排出に効くという論文を発表しているのだ・・・とも読み取れます。
私はこれに反論したいです。民間組織イコール利益を求める企業で、その商品を誇大広告する、とは限りません。さらに国立国営の研究所イコール利益を求めていないから、真実だけを話している、とも言えません。
ベルラド研究所は非国立の研究所です。これはベラルーシでは非常に珍しいです。ベラルーシは研究所に限らず、国立国営がほとんどです。公務員率も高いです。(アイドル歌手すら公務員扱いですよ。)
ベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらなのですが、英語版はあっても日本語版はありませんので、私から簡単にご紹介します。
http://www.belrad.nsys.by/
1990年に非国立系の研究所として西ヨーロッパからの支援を受けながら、ワシーリイ・ネステレンコ教授によって設立されました。
ネステレンコ教授はチェルノブイリ原発事故が起きた当時はベラルーシ科学アカデミー核エネルギー研究所の所長をしていました。
事故当時の自分の体験を「チェルノブイリの祈り」という証言集の中で話しています。(スベトラーナ・アレクシエービッチ著。この本は日本語訳され、岩波書店から出版されています。ネステレンコ教授はこの中で何度も「事実をお話したい。事実のみです。」「事実が必要になるのです。」と繰り返しています。)
この本の中でも証言しているように、核エネルギー研究所が事故の実態調査をしようとすると、圧力がかけられ脅迫を受け、研究所の放射線モニタリング装置が没収された・・・そうです。
現在でもそうですが、国立の研究所だと、どうしても政府の意向が無理やり通されてしまいます。これについては後で書きますが、結局自由な研究をするには国立の研究所では無理があると感じて、自分たちの手で研究所を設立したと思われます。
ちなみにベルラドとはBELRADで、BELはベラルーシのこと、RADは放射能のことをさします。名称は国立っぽいですが、国立の研究所ではありません。
研究テーマは、土壌・水質汚染の測定、食品の測定、人体の測定ですが、その後2000年からは測定と平行してペクチン剤であるビタペクトを開発・製造・販売しています。
私が代表を勤めるチロ基金は2002年から、日本人協力者の方々からの寄付金でビタペクトを購入し、体内被曝が体重1キロあたり20ベクレル以上だったベラルーシの子どもに無償で配る活動をしています。
子どもたちの測定費用はSOS子ども村といういわゆる孤児施設(本部はオーストリア)が出しており、そのSOS子ども村内にある保養施設で滞在している、多子家庭の子供が対象になっています。
このようなベルラド研究所、SOS子ども村、チロ基金という協力関係の中で支援活動をしているのですが、他の日本の団体(ボランティアや大学の研究機関)もベルラド研究所と関係があります。
チロ基金だけではなく日本の他のボランティア団体もビタペクトを購入し、チェルノブイリの子どもたちにあげています。
ベルラド研究所は非国立なので国から予算が下りず、経営的には大変だと思います。しかし、日本以外にもアイルランド、イギリス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、スイス、イタリア、ノルウェー、アメリカなどの団体から支援を受けています。
また、ビタペクトを販売して現金収入を得て、研究資金を継続している状態です。
しかしベルラド研究所がビタペクトを販売して、大もうけをしているとはとても思えません。
ベラルーシ政府が測定をちゃんとしてくれないので、マイクロバスにホールボディカウンタを載せて、汚染地域の学校へ測定の巡回に行っています。
それはベルラドが「研究所」であって、「測定代行企業」とか「健康食品販売会社」ではないからです。
子どもたちを測定するのは研究データを集めるためです。研究所だから当然です。データ提供協力のお礼として、体内放射能値が多かった子どもにはビタペクトをベルラド研究所から無料で渡しています。
さらにパンフレット「自分と子どもを放射能から守るには」を保護者に無料で渡しています。
もしベルラド研究所が利益のみ追求している企業なら、ただで子どもにビタペクトを配ったりしないでしょう。購入している数より、子どもにただであげている数のほうがずっと多いからです。
大体汚染地域に住む子どもや保護者に「ビタペクト代払え。」と言うのも、酷でしょう。もちろん測定代もベルラド研究所側が負担しています。
一方で製造したビタペクトの一部は、汚染地域で測定対象になっていないけれど、飲みたいと言う希望者もいるわけですから、そういう人向けに、有料で販売している、ということです。
それにしても1個300円程度に価格を抑えていますから、良心的です。
チロ基金もごくごくわずかながら、ビタペクトを購入しベルラド研究所を支えています。この研究所がもしなくなると、ベラルーシでのチェルノブイリ研究は大きく衰退してしまうでしょう。福島の原発で大事故が起きてしまった日本人としてはとても困ります。ベルラド研究所に教えてほしいことが、これからたくさん出てくると思います。
それと間違われるのですが、ペクチンに放射能排出作用があると最初に発表したのはベルラド研究所でも、ベラルーシ人でもありません。ウクライナ研究者からの研究発表によるものです。
ウクライナはビタペクトより先にヤブロペクトというペクチン剤を作りましたが、ベルラド研究所はドイツの研究機関と共同開発して、ペクチンにビタミン剤を加えたビタペクトを開発しました。
しかもできるだけ安く、多くの人に飲んでほしい(富裕層だけが飲めるサプリになってほしくなかった)という希望もあって、ベラルーシでたくさん取れるリンゴをペクチンの材料に使っているのです。
それからペクチンが放射能の排出に有効であることはベルラド研究所だけが言っているのではなく、ベラルーシ保健省、国立の放射線医療・内分泌学学術診療研究所なども、放射能汚染地域の住民に勧めています。(これについてはまた別の記事で、ご紹介します。)
そんなにペクチンに効き目がないのなら、どうして多くの外国の団体がベルラド研究所を支援しているのでしょうか?
それは今では非国立のベルラド研究所の存在が貴重なものになっているからです。
ベラルーシの国立の研究所はどうなったかというと、瀕死状態です。
何と言ってもベラルーシ政府は経済状況がよくありませんから、チェルノブイリ被災者への福祉政策を縮小したいし、研究所への予算も減らしたいわけです。事故後何十年と経っても国立研究所が
「事故の影響は続いています。深刻です。」
とデータを発表すると政府としては無視できません。なので、国立の研究所への予算をどんどん削っていきました。
チェルノブイリ問題を環境問題と言う枠組みで扱う学問領域もありますが、国立大学の中の環境学としてのチェルノブイリ関係の研究テーマとする学科は、どんどん人員を減らされています。(募集学生数も、教員数も。)
こうして研究者たちは予算が削られて、思うように研究ができなくなっていきました。
ですから最近は詳しいデータが国立の研究所から発表されなくなってきています。 (このブログでご紹介した汚染地図も2004年度版で止まったままです。)
数年前ベラルーシ政府は「国内にあるチェルノブイリ関係の国立研究所は全てゴメリ市に移転すること。移転しない場合は閉鎖する。」という命令を出しました。
つまり研究機関を汚染地域にある都市、ゴメリ一箇所に集めて効率化を図ろう、という考えです。ところが研究所はミンスクに多くあり、その職員は全員ゴメリに引越ししないといけなくなりました。
その際の職員の住居は政府が用意するのではなく、個人で準備すること、あるいは研究所が探すこと! になりましたら大混乱となりました。
例えば国立の放射線生物学研究所はミンスク市内にあったのですが、職員200人の多くがゴメリへの引越しを拒否。(住むところがないんですから。日本のような単身赴任という考え方もベラルーシにはあまりありません。)
研究所は結局ゴメリに移転し、今も継続していますが、移転したときゴメリへ引っ越していったのは職員のうち30人だけでした。
このような状態ではちゃんとした研究が以前と同じようにはできないでしょう。
実際には政府の狙いは、一極化して便利にすることではなく、このあたりにあったと思われます。
ベルラド研究所は国立ではありませんから、このような政府の命令を聞く必要はなく、研究を自分たちのペースで進めています。
国立の研究所がどこも縮小していっているので、チェルノブイリ事故から20年目のときには日本のトヨタ財団が研究費を出し、京大原子炉実験所が直接ベラルーシの研究者に資金援助して、研究してもらっているような状態です。
そしてその研究成果は当然ベラルーシではなく、日本で発表されているわけです。
ベラルーシの状況を日本の研究施設のほうが把握している部分もあるのです。
このような現状です。チェルノブイリ研究に関してはベラルーシはますます減速していくと思われます。
ウクライナの研究機関に期待したいところです。しかしチェルノブイリ原発事故当時、ベラルーシは風下だったので、汚染地域の面積はベラルーシのほうが広く、被害になった人の数も多いのです。ベラルーシの研究機関がしっかりしてほしいところです。
そんな中、孤軍奮闘状態のベルラド研究所です。
ネステレンコ教授が個人的に作って、ビタペクトを売って儲けている企業だか研究所だかよく分からない団体・・・などではありません。
ベラルーシ国内では最後の頼みの綱のような機関です。
そうでなかったら、
「日本人のために翻訳してください。」
と研究所が出版した本「自分と子どもを放射能から守るには」を震災後すぐの時期に私にくれませんよ。もちろん無料でくれました。
引用ここまで
原文は、ブログ『ベラルーシの部屋ブログ』の中の
【ベルラド研究所について】
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット 」
の参考記事にさせていただきました。
ベルラド研究所について
2011-07-13 | 放射能関連情報
先ほどの投稿記事でご紹介した松永さんの記事内で、ベルラド研究所のことを民間組織でビタペクトを販売している、と紹介しています。
つまり、ベルラド研究所は民間組織でビタペクトを販売し、売上金を得るためにビタペクトを販売し、売り上げを上げるためにペクチンが放射能排出に効くという論文を発表しているのだ・・・とも読み取れます。
私はこれに反論したいです。民間組織イコール利益を求める企業で、その商品を誇大広告する、とは限りません。さらに国立国営の研究所イコール利益を求めていないから、真実だけを話している、とも言えません。
ベルラド研究所は非国立の研究所です。これはベラルーシでは非常に珍しいです。ベラルーシは研究所に限らず、国立国営がほとんどです。公務員率も高いです。(アイドル歌手すら公務員扱いですよ。)
ベルラド放射能安全研究所の公式サイトはこちらなのですが、英語版はあっても日本語版はありませんので、私から簡単にご紹介します。
http://www.belrad.nsys.by/
1990年に非国立系の研究所として西ヨーロッパからの支援を受けながら、ワシーリイ・ネステレンコ教授によって設立されました。
ネステレンコ教授はチェルノブイリ原発事故が起きた当時はベラルーシ科学アカデミー核エネルギー研究所の所長をしていました。
事故当時の自分の体験を「チェルノブイリの祈り」という証言集の中で話しています。(スベトラーナ・アレクシエービッチ著。この本は日本語訳され、岩波書店から出版されています。ネステレンコ教授はこの中で何度も「事実をお話したい。事実のみです。」「事実が必要になるのです。」と繰り返しています。)
この本の中でも証言しているように、核エネルギー研究所が事故の実態調査をしようとすると、圧力がかけられ脅迫を受け、研究所の放射線モニタリング装置が没収された・・・そうです。
現在でもそうですが、国立の研究所だと、どうしても政府の意向が無理やり通されてしまいます。これについては後で書きますが、結局自由な研究をするには国立の研究所では無理があると感じて、自分たちの手で研究所を設立したと思われます。
ちなみにベルラドとはBELRADで、BELはベラルーシのこと、RADは放射能のことをさします。名称は国立っぽいですが、国立の研究所ではありません。
研究テーマは、土壌・水質汚染の測定、食品の測定、人体の測定ですが、その後2000年からは測定と平行してペクチン剤であるビタペクトを開発・製造・販売しています。
私が代表を勤めるチロ基金は2002年から、日本人協力者の方々からの寄付金でビタペクトを購入し、体内被曝が体重1キロあたり20ベクレル以上だったベラルーシの子どもに無償で配る活動をしています。
子どもたちの測定費用はSOS子ども村といういわゆる孤児施設(本部はオーストリア)が出しており、そのSOS子ども村内にある保養施設で滞在している、多子家庭の子供が対象になっています。
このようなベルラド研究所、SOS子ども村、チロ基金という協力関係の中で支援活動をしているのですが、他の日本の団体(ボランティアや大学の研究機関)もベルラド研究所と関係があります。
チロ基金だけではなく日本の他のボランティア団体もビタペクトを購入し、チェルノブイリの子どもたちにあげています。
ベルラド研究所は非国立なので国から予算が下りず、経営的には大変だと思います。しかし、日本以外にもアイルランド、イギリス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、スイス、イタリア、ノルウェー、アメリカなどの団体から支援を受けています。
また、ビタペクトを販売して現金収入を得て、研究資金を継続している状態です。
しかしベルラド研究所がビタペクトを販売して、大もうけをしているとはとても思えません。
ベラルーシ政府が測定をちゃんとしてくれないので、マイクロバスにホールボディカウンタを載せて、汚染地域の学校へ測定の巡回に行っています。
それはベルラドが「研究所」であって、「測定代行企業」とか「健康食品販売会社」ではないからです。
子どもたちを測定するのは研究データを集めるためです。研究所だから当然です。データ提供協力のお礼として、体内放射能値が多かった子どもにはビタペクトをベルラド研究所から無料で渡しています。
さらにパンフレット「自分と子どもを放射能から守るには」を保護者に無料で渡しています。
もしベルラド研究所が利益のみ追求している企業なら、ただで子どもにビタペクトを配ったりしないでしょう。購入している数より、子どもにただであげている数のほうがずっと多いからです。
大体汚染地域に住む子どもや保護者に「ビタペクト代払え。」と言うのも、酷でしょう。もちろん測定代もベルラド研究所側が負担しています。
一方で製造したビタペクトの一部は、汚染地域で測定対象になっていないけれど、飲みたいと言う希望者もいるわけですから、そういう人向けに、有料で販売している、ということです。
それにしても1個300円程度に価格を抑えていますから、良心的です。
チロ基金もごくごくわずかながら、ビタペクトを購入しベルラド研究所を支えています。この研究所がもしなくなると、ベラルーシでのチェルノブイリ研究は大きく衰退してしまうでしょう。福島の原発で大事故が起きてしまった日本人としてはとても困ります。ベルラド研究所に教えてほしいことが、これからたくさん出てくると思います。
それと間違われるのですが、ペクチンに放射能排出作用があると最初に発表したのはベルラド研究所でも、ベラルーシ人でもありません。ウクライナ研究者からの研究発表によるものです。
ウクライナはビタペクトより先にヤブロペクトというペクチン剤を作りましたが、ベルラド研究所はドイツの研究機関と共同開発して、ペクチンにビタミン剤を加えたビタペクトを開発しました。
しかもできるだけ安く、多くの人に飲んでほしい(富裕層だけが飲めるサプリになってほしくなかった)という希望もあって、ベラルーシでたくさん取れるリンゴをペクチンの材料に使っているのです。
それからペクチンが放射能の排出に有効であることはベルラド研究所だけが言っているのではなく、ベラルーシ保健省、国立の放射線医療・内分泌学学術診療研究所なども、放射能汚染地域の住民に勧めています。(これについてはまた別の記事で、ご紹介します。)
そんなにペクチンに効き目がないのなら、どうして多くの外国の団体がベルラド研究所を支援しているのでしょうか?
それは今では非国立のベルラド研究所の存在が貴重なものになっているからです。
ベラルーシの国立の研究所はどうなったかというと、瀕死状態です。
何と言ってもベラルーシ政府は経済状況がよくありませんから、チェルノブイリ被災者への福祉政策を縮小したいし、研究所への予算も減らしたいわけです。事故後何十年と経っても国立研究所が
「事故の影響は続いています。深刻です。」
とデータを発表すると政府としては無視できません。なので、国立の研究所への予算をどんどん削っていきました。
チェルノブイリ問題を環境問題と言う枠組みで扱う学問領域もありますが、国立大学の中の環境学としてのチェルノブイリ関係の研究テーマとする学科は、どんどん人員を減らされています。(募集学生数も、教員数も。)
こうして研究者たちは予算が削られて、思うように研究ができなくなっていきました。
ですから最近は詳しいデータが国立の研究所から発表されなくなってきています。 (このブログでご紹介した汚染地図も2004年度版で止まったままです。)
数年前ベラルーシ政府は「国内にあるチェルノブイリ関係の国立研究所は全てゴメリ市に移転すること。移転しない場合は閉鎖する。」という命令を出しました。
つまり研究機関を汚染地域にある都市、ゴメリ一箇所に集めて効率化を図ろう、という考えです。ところが研究所はミンスクに多くあり、その職員は全員ゴメリに引越ししないといけなくなりました。
その際の職員の住居は政府が用意するのではなく、個人で準備すること、あるいは研究所が探すこと! になりましたら大混乱となりました。
例えば国立の放射線生物学研究所はミンスク市内にあったのですが、職員200人の多くがゴメリへの引越しを拒否。(住むところがないんですから。日本のような単身赴任という考え方もベラルーシにはあまりありません。)
研究所は結局ゴメリに移転し、今も継続していますが、移転したときゴメリへ引っ越していったのは職員のうち30人だけでした。
このような状態ではちゃんとした研究が以前と同じようにはできないでしょう。
実際には政府の狙いは、一極化して便利にすることではなく、このあたりにあったと思われます。
ベルラド研究所は国立ではありませんから、このような政府の命令を聞く必要はなく、研究を自分たちのペースで進めています。
国立の研究所がどこも縮小していっているので、チェルノブイリ事故から20年目のときには日本のトヨタ財団が研究費を出し、京大原子炉実験所が直接ベラルーシの研究者に資金援助して、研究してもらっているような状態です。
そしてその研究成果は当然ベラルーシではなく、日本で発表されているわけです。
ベラルーシの状況を日本の研究施設のほうが把握している部分もあるのです。
このような現状です。チェルノブイリ研究に関してはベラルーシはますます減速していくと思われます。
ウクライナの研究機関に期待したいところです。しかしチェルノブイリ原発事故当時、ベラルーシは風下だったので、汚染地域の面積はベラルーシのほうが広く、被害になった人の数も多いのです。ベラルーシの研究機関がしっかりしてほしいところです。
そんな中、孤軍奮闘状態のベルラド研究所です。
ネステレンコ教授が個人的に作って、ビタペクトを売って儲けている企業だか研究所だかよく分からない団体・・・などではありません。
ベラルーシ国内では最後の頼みの綱のような機関です。
そうでなかったら、
「日本人のために翻訳してください。」
と研究所が出版した本「自分と子どもを放射能から守るには」を震災後すぐの時期に私にくれませんよ。もちろん無料でくれました。
引用ここまで
原文は、ブログ『ベラルーシの部屋ブログ』の中の
【ベルラド研究所について】
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/c382ef7eca8660531e895c8a646e7f2a
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット 」
の参考記事にさせていただきました。
被災者救援活動の諸問題とロシアの現状
引用ここから
被災者救援活動の諸問題とロシアの現状
アラ・ヤロシンスカヤ
ヤロシンスカヤ・チャリティ基金(ロシア)
1. 政府による被災者援助
ソ連時代
1996年4月26日,チェルノブイリ原子力発電所で史上最悪の原発事故が起こったとき,ソ連には,数100基に上る研究用原子炉のほか,核兵器や軍事産業の原子炉が文字通り全土に散らばっていた.それにもかかわらず,ソ連には,起こりうる原発事故の犠牲を防ぐための法律が1つもなかった.それがソ連の現実であった.チェルノブイリ原発事故が起こったとき,ソ連政府は被災者,たとえば原発職員,事故処理作業者,被災住民を救済するためのいかなる法律も持っていなかった.事故から5年間,ソ連最高会議は被災住民を保護し,彼らに特典や補償を与えるためのいかなる立法処置もとらなかった.どうしてこのような事態が許されたのであろうか? 共産党支配のもとのソ連では,被災住民の数はもちろん,事故による汚染の強さや規模も明らかにされなかった.事故後5年間,ソ連共産党中央委員会が,各共和国や地方の共産党組織に対してさまざまな布告を出し,それが「法律」の役目を果たした.そうした布告は,共産党中央委員会とソ連政府との合同の布告として出されるのが通例で,当然それらは秘密であった.たまにその布告が公開されたときには,被災者の数やその状況についての具体的な情報は含まれていなかった.
事故直後,行政当局はチェルノブイリ原発の職員や消防士に対する救命活動を行なったが,それは準備のないままの緊急時行動であった.行政当局には,巨大な原発災害に対する備えがなかったため,事故処理作業を効果的に調整することもできなかった.そのため,ヨウ素防護剤も必要なとき(事故後8日の間)には配布されなかった.ソ連国防省と民間防衛隊のおびただしい化学部隊,機械化部隊,特別軍事物資,輸送機械などが,放射線量測定や除染作業に動員されたが,行政当局には,チェルノブイリ周辺30kmゾーンから11万6000人の住民を速やかにまた効果的に避難させることはできなかった.共産党支配体制の強固な秘密主義のもとでは,事故の真相を明らかにする必要がなかったし,そのことによって,こうした失策が生まれたのである.共産党と政府の指導者たちは,ただ密室の中で悲劇について語り合っていただけであった.
30kmゾーンの村々からの住民の避難は,詳細な計画のないまま実行された.人々は,しばらくの間,たとえば2〜3週間,村を離れ,再び戻ってくるということ以外,詳しい説明はなにもうけなかった.しかし,汚染地域の行政当局者のうちの幾人かは,村人たちが2度と故郷に戻れないだろうとそのときに感じ取っていたと後に回想している(アラ・ヤロシンスカヤ,「チェルノブイリ:極秘」,1992).
筆者は1989年に,もっともひどい汚染をうけた州の1つであるウクライナ・ジトーミル州からソ連人民代議員に選ばれた.ジトーミル州のナロジチおよびルギヌイ地区から住民を移住させる必要があることを示す書類を携え,私はモスクワにきて,ソ連政府の燃料エネルギー資源局を訪ねた.当時,その局はチェルノブイリ事故影響の処理作業に当たっていた.それにもかかわらず,局上層部は,移住についてはいっさい聞く耳を持たなかった.しかし,第1回ソ連人民代議員大会において,筆者が事実を報告したことによって,即刻12の村の移住が決定された.このことは,1989年になるまで政府の計画には,チェルノブイリ被災者を救うための科学的な方策がなにもなかったことを示している.しかし,そうするために必要な科学的な思考力がなかったためではない.問題は“グラスノスチ(情報公開)”と関連している.“閉鎖社会”とチェルノブイリ事故の“グラスノスチ”とは,お互い原理的に相容れないのであった.
チェルノブイリ事故後5年間,事故処理対策と住民救済対策の調整は,行政機関の厳格な指揮命令系統に従ってなされた.この目的のために,ソ連共産党中央委員会政治局に特別作業グループが設置され,数年にわたって活動した.当初,このグループの会議は毎日開かれたが,次第に頻度が少なくなっていった.作業グループは,各共和国,政府,国防省,保健省からの報告をうけ,さらに作業グループの構成メンバーからの報告をうけた.そして,即座にいっさいの問題について決断を下した.すなわち,病院への収容,退院,汚染地域で消費する野菜や果物の最大許容濃度の増加,住民の移住,原発職員への援助,住民への補償のために導入する特典,そして被災住民への医療援助などである.
多様な課題に対して行政当局がとった行動は,秘密でかつ調整がとれていなかったため,行政権力はさまざまなレベルで職権濫用を行なった.たとえば,ジトーミル州ナロジチ地区で,移住民のためにキエフ,リボフ,ジトーミルなどにアパートを配分していた役人は,いくつものアパートを自分で取り込んでしまい,本当にそれを必要としている人々に配分しなかった.
その上,もう1つの理由で,決定事項の有効性は低かった.つまり,当時,ソ連国内で食糧供給が十分でなかったのは,単に被災した地域だけでなく,大きな都会や町も同様だったのである.そのため,チェルノブイリ事故被災者への食糧供給を改善するというソ連共産党中央委員会の決定は,実質的には実現できないものであった.共産党の決定に従い,被災住民は「非汚染」食料のために,毎月30ルーブル(住民はそれを「棺桶代」と呼んだ)を支給された.ところが,村の店には「非汚染」食料などなかった.店にはもともと品物がなかったのである.食料の総量自身が足りないのであった.
1989年の段階ではチェルノブイリ事故被害に対処するための3つの独立した計画が存在していた.すなわち,ウクライナの計画,ベラルーシの計画,そして1988年から90年に至る間のロシア・ブリャンスク州での計画である.
1990年にはじめて,チェルノブイリ事故についての議会公聴会が開かれた.この公聴会を基に,ソ連最高会議は,チェルノブイリ事故影響に対処し,包括的な国家計画を実行し,また汚染地域での生活基準についてのはじめての布告を採択した.さらに,ソ連政府の国家専門家委員会(筆者もまたソ連人民代議員としてこの委員会に加わった)が設置され,チェルノブイリ事故影響に対処するためのすべての国家計画の実行に当たることとなった.
事故影響に対処するための3つの計画,すなわちウクライナ,ベラルーシ,そしてロシアのブリャンスク州のものが,専門家委員会に新たに提出された.科学的な手法に基づき,それなりに包括的で,また簡潔な内容を持っていたのはベラルーシの計画だけであった.この計画には,長い間政府の計画では触れられることのなかった重大な問題が含まれていた.つまり,被災地住民への特典の提供基準である.ウクライナの計画には署名すらなく,誰が作成したものかもわからなかった.複数の「部分」が機械的に1つの文書として合体させられたことが明白に見て取れた.もっとも奇妙だったのはロシアの計画であった.その時点ですでに,ロシア国内のブリャンスク州以外の州,たとえばオリョール,カルーガ,ツーラの各州も汚染されていることがわかっていたのに,ロシア連邦共和国の計画では,ブリャンスク州だけしか取り上げられていなかった.
議会や政府内で度重なる議論を積み重ねた後,「チェルノブイリ原発事故被災地での生活に関する基本的考え方」が,1991年4月に,国家専門家委員会で採択された.この「基本的考え方」に従って,防護対策とその規模,また住民への損害補償を決める際のもっとも重要な基準は,チェルノブイリ事故による放射線被曝量であることになった.そして,年間の実効線量当量が0.1レム(1mSv)を越えないような被曝は容認できると定められた.「汚染」地域に現に住んでいる人たち,あるいは定められた最小の期間以上かってそこに住んでいた人たちは,特典,補償,あるいは社会的・医学的援助システムを通じて,損失を回復する権利が与えられた.
ロシア住民に対する社会補償システムは,「チェルノブイリ原発事故による放射線被災者の社会的防護について」というロシア連邦共和国の法律が成立した1991年5月になってようやく動き出した.法律を実施に移すために,実質的な基準をたてるための40を越える付則が立案採択された.それでもなお,特に住民に対する補償の支払いの点で,この法律は能率が悪かった.そのため,1992年6月に修正と付則の導入が行なわれた.
チェルノブイリ原発事故の被災住民に対して,ソ連時代(1986-1991年)の政府がとった対策をまとめると,その質と有効さは別として,以下に述べる方向に区分される.
* 放射能汚染地域の面積を減らすための復旧・除染処置
* 汚染地域に住む住民に対する社会保障の強化:汚染地域から非汚染地域への移住,住居の補償,「非汚染」食料のための補償,医療上の援助特典.
当時,住民の詳細な検査を実施したり,健康状態の変化を知るために,チェルノブイリ原発事故被災地に医療チームが派遣された.残念ながら,すべての情報は,住民はもちろん(E・B・ブルラコーワによれば)ロシアの科学者に対してさえ秘密にされた.
しかしながら,この期間に,地域の健康管理のための物質的・技術的基盤は大幅に改善された.診断のためのネットワークと医療保養センターが確立され,医療職員に先進的な訓練が実施されたりした.
ロシア連邦のチェルノブイリ原発事故影響対策国家委員会のデータによれば,ロシア国民の健康状態の検査が,地方の医療機関および25の主要な研究所によって行なわれた.医学・被曝量に関するロシアの国家登録も策定された.そのデータベースには,チェルノブイリ事故の結果,放射線に被曝した13万7600人の情報が含まれている.内訳は,いわゆる事故処理作業者9万7000人,汚染地域から避難した3000人,汚染地域に住む3万5000人を超える人々,事故処理作業者から生まれた2600人以上の子供たちである.
チェルノブイリ事故直後の数年,ソ連政府は,移住者のための住宅建設に資金を配分した.しかし,その場合にも,イデオロギーが大きな作用を及ぼした.事故の規模を隠蔽するために,被災者のための新しい住宅が,汚染地域の中に造られた.たとえば,ナロジチ地区の「汚染」地域内に50棟のアパートが建設され,そのためにジトーミル州だけで,(当時の貨幣で)2億ルーブルが投入された.移住者たちは,住宅建設が行政側の欺瞞であることを知り,そこには住まなかったことを指摘しておく.
ロシア連邦内では,汚染地域内の412の居住地で除染が行なわれた.およそ1万3000人の人々がブリャンスク州の汚染地域から移住させられた.うち,5500人は強制移住地域からの人々であった.18の居住地は完全に放棄された.ロシア連邦内では,1993年までに,およそ5万人の人々が,移住させられたり,自発的に汚染地域を離れたりした.
農作物への放射性核種の蓄積を減らすために,汚染地域において特別な農業化学的研究が行なわれたことも興味深い.ブリャンスク,オリョール,ツーラ,カルーガ各州のいくつかの地区では,マグサの種まきが拡大され,穀類の種まきは減少させられた.また,ソバやアブラナの種は撒かれなかった.何人かの専門家(たとえば,チェルノブイリ原発事故影響対策国家委員会の前委員長,V・Ya・ボズニャク)は,こうしたことによって,土壌は肥沃になり,植物に取り込まれる放射性核種の量は1.5分の1ないし4分の1に減ったと述べている.V・Ya・ボズニャクは,ソ連時代にチェルノブイリ事故の情報を隠した張本人であり,そんな人がいっているかぎり,筆者は個人的にはそのような数字を信じない.そもそも,放射能で汚染していることがわかっている土地に,人が食べるための食料を植えること,あるいはそれが家畜用のマグサだとしても,そんなことが本当に必要なのかどうか疑問である.筆者には,健康に対する永久的な危険がある地域に人々を居住させようとするモスクワ官僚の論理は理解できないし,うけ入れられない.
ソ連崩壊後
ソ連が崩壊してしまってからは,強い汚染をうけた3つの共和国は,それぞれが自分の力でチェルノブイリの問題に当たらなければならなくなった.独立国家共同体(CIS)が生まれた時点(1991年末)で,チェルノブイリ事故によるセシウム137の汚染が1Ci/km2を超える地域は,ロシア,ウクライナ,ベラルーシを合わせると,10万km2を超えていた.新しく生まれたそれぞれの国家にとって,チェルノブイリ原発事故被災者の社会的な救済という問題はそのまま残っていた.たとえば,汚染密度が15〜40Ci/km2以上の地域は,いわゆる放射能汚染Bゾーン(ロシア,ウクライナ,ベラルーシのチェルノブイリ関連法令による)と呼ばれるが,そこから人々を移住させねばならなかった.
チェルノブイリ原発事故からすでに11年の歳月が流れたが,事実は悲しいものである.ソ連政府も,また民主的な政府も,彼らの議会が採択したチェルノブイリ法によって定められた最低限の補償すら,国民に与えられずにいる.その上,国家による移住への援助は今日ますます減少している.たとえば,(A・ドゥムノフ,E・ボシミルコによれば)ベラルーシで,(モギリョフ州とゴメリ州の)強制的あるいは自発的な移住対象地域から移住した人は,1993年には4410人であったが,1995年には,わずか1723人となった.ロシアでは,(ブリャンスク,カルーガ,ツーラ各州の)強制的あるいは自発的移住対象地域から移住した人は,1993年には2790人であったが,1995年には,わずか1370人であった.同じことは,ウクライナでも見られる.
暫定的なデータによれば,ロシアでは(ブリャンスク,カルーガ,ツーラ各州の)強制的あるいは自発的移住地域に住んでいる人の数は1997年初頭で41万400人,ベラルーシで32万3000人,ウクライナで67万3000人(さらに,キエフ州の特別規制地域に479人)いる.簡単な計算で分かるように,現在の移住のスピードが変わらなければ,これらの国で強制的あるいは自発的移住対象地域から人々が移住し終わるまでには,数10年の時間がかかってしまう.
ロシア連邦の法律「チェルノブイリ原発事故による放射線被災者の社会的保護について」によって,被災市民の定義がされている.法の第3章において被災者は12に分類され,法による補償と特典供与の基礎となっている.チェルノブイリ被災者がうけるすべての特典と補償の内容は,この法律で詳しく規定されている.以下にそのうちのいくつかを示す.
1. 事故によって急性放射線障害その他の病気,疾病障害者となった人は,以下の特典をうける.医学的治療(病院や移動検診車)が無料,医師の処方箋に示された薬は無料,歯の治療と入れ歯は無料,年1度の保養所での療養と平均的な旅行費用は無料などなど.働いている疾病障害者は,連続した4カ月あるいは年間5カ月まで,労働不能の手当として平均賃金の全額をうける.家屋条件の改善,あるいはアパートの別室が必要と認められた人は,現在の住居に住んでいる期間の長さに関係なく,申請から3カ月以内に,現代的な設備を備えた部屋を無料で提供される.上記の被災者および同居している家族は,家賃の5割減免,電話,ラジオ,TVアンテナその他の設備の5割減免,ガス,暖房,水,電気も5割減免,ロシア国内ならどこでも年1回にかぎって,すべての種類の旅客運賃が無料,所得税ほかすべての税金の免除など.
2. 移住の権利が与えられているゾーン内で恒常的に生活(あるいは労働)している人は,居住時期にしたがって,毎月の手当(法律にしたがって定められた最低賃金に対する割合)をうける.
* 1986年4月26日以来の居住者:最低賃金の40%
* 1987年1月1日以来の居住者:最低賃金の30%
* 1991年1月1日以来の居住者:最低賃金の20%
現在のロシアでの最低賃金は,月8万4000ルーブルである.したがって,上に述べたゾーン内での居住者はそれぞれ,3万3600,2万5200,1万6800ルーブルの手当をうける.
1. 強制移住地域に恒常的に生活する住民の場合には,下に示す居住時期に応じて,移住するまでの間,毎月手当(法律にしたがって定められた最低賃金に対する割合)をうけ取る.
* 1986年4月26日以来の居住者:最低賃金の60%
* 1987年1月1日以来の居住者:最低賃金の50%
* 1991年1月1日以来の居住者:最低賃金の30%
たとえば,1987年1月1日から,強制移住地域で生活(あるいは労働)している人の場合,他地域に移住するまでの間,毎月4万2000ルーブルの手当をうける.
この地域の住民で,職のない年金生活者,疾病障害者,障害を持った子供の場合には,さらに高額の年金や特典をうける権利を持つ.この場合も,以下に示す居住期間に応じ,また法律にしたがって定められた最低賃金に対する割合として定義されている.
* 1986年4月26日以来の居住者:最低賃金の300%
* 1987年1月1日以来の居住者:最低賃金の200%
* 1991年1月1日以来の居住者:最低賃金の100%
また,小学生から大学院生まで,移住対象地域の学校においては100%の学生に奨学金が支給される.ロシアの高等教育機関の学生に対する奨学金は,最低賃金と同額の8万4000ルーブルである.強制移住地域内の高等教育機関の学生は,16万8000ルーブルの奨学金をうけることができる.この地域の住民には,法律によってその他の特典も保証されている.
法律には,チェルノブイリ事故で損なわれた健康に対して補償する規定(第5章)がある.たとえば,1級あるいは2級の障害者に対しては,最低賃金の5カ月分を1年間の手当として支払うように法律が定めている.最低賃金は月8万4000ルーブルであるから,1級,あるいは2級の疾病障害者は,彼らが失った健康の補償として毎年42万ルーブルをうけ取ることになっている.
チェルノブイリ事故によって健康を害した他の分類に属する人々に対しても法律は手当を支給するように定めている.
しかしながら,国家の経済状態が厳しいため,チェルノブイリ事故被災者に対する支払いや補償は,ますます遅配されるようになってきている.
汚染地域に住む人たちへの国の支援の度合いを測る尺度の1つは,移住者のための住居,社会的・文化的施設の建設,被災者を雇用するための産業施設設立といった投資の合計額である.チェルノブイリ事故影響対策のための費用は,被災各国の予算において,特別の項目として計上されている.しかし,近年,この合計額は縮小される傾向にある.国家財政全体の後退,インフレ,新しく独立した国家が抱える過渡的な経済問題などが,その原因となっている.各国の経済全体での投資額は,毎年10〜30%の割合で落ち込んでいる.チェルノブイリ事故関連の投資額は,さらに著しく落ち込んでいる.ベラルーシ,ロシア,ウクライナ3国における昨年(1996年)のチェルノブイリ関連の投資額は,それぞれ1億2000万ルーブル,6000万ルーブル,1億8500万ルーブルであった.これら3国におけるチェルノブイリ事故復旧関連の住宅建設は,1995年に比べて40%も縮小された.1995年と比較して,ロシアでは27%,ベラルーシでは62%,ウクライナでは,75%の住宅しか完成できなかった(A・ドゥムノフ,E・ボシミルコ).
モスクワの政府がブリャンスク州ポトチップ地区(モスコフスキー村)で建設していた150軒の住宅建設は,チェチェンでの戦争が始まった後,凍結された.住民や移住者にとって大変重要な生活基盤である診療所,病院,中学校などは,昨年,ロシアでは全く開設されなかった.非汚染地域に移住はしたものの職のない人たちにとっては,問題が山積みである.移住者のための職はほとんど作られていない.新しい土地になじめない移住者たちは,しばしば元の「汚染」された家や土地に舞い戻っている.ロシア政府は,1997年1月に,舞い戻った移住者用の住宅を造るための基金を設立する布告を採択した.
財政の困難は,大人の療養問題だけでなく,子供の療養にも及んでいる.ロシア連邦においては,大統領直々の多目的計画「ロシアの子供たち」が,すでに数年にわたって機能していた.そのなかの1つに「チェルノブイリの子供たち」があった.大統領の計画であるにもかかわらず,昨年は十分な資金がえられなかった.1996年の9カ月間に,249億730万ルーブルの資金が「チェルノブイリの子供たち」計画を実施するために配分された.この額は年間計画のわずか13%でしかない.
汚染地域の住民が個人の畑で作った「汚染」食料を食べている問題もいまだに深刻である.まず第1に,ミルク,乳製品,肉,野生の果物,木の実,キノコが問題である.事故後の数年間は,それらの食料について何がしかの規制があったが,現在では,これらの地域で実質的な規制はなされていない.
また,汚染地域住民に非汚染食糧を供給する問題も解決されていない.たとえば,1995年にウクライナの汚染地域に供給できた「非汚染」のミルク,バター,植物油,肉,野菜,砂糖などは,1991年に比べてわずか8〜20%であった.1994年との比較では,野菜,肉,植物油,種々の穀物の供給は半分に,ミルクと砂糖の供給は3分の1以下に減っている.ロシア,ベラルーシの多くの地域でも同様である.
チェルノブイリ被災者への国の援助に関しては,職権の濫用について触れずにいられない.チェルノブイリ原発事故によって放射線の被害をうけたいくつかの地域において,被災者が抱える問題を解決するために配分された予算が他のことに使われてしまったことが,以前から知られている.たとえば,ロシア連邦ブリャンスク州では,地方行政機関が,チェルノブイリ被災者のための予算を地方空港建設のために使ってしまった.ウクライナのジトーミル州では,役人のための保養施設の建設に予算の一部が転用された.数年前には,ウクライナのキエフで,国からきた「チェルノブイリ」用の予算が,高官の個人的な基金に横流しされるという汚職が発覚した.この汚職事件は内閣メンバーを含んだものであった.
このように,新しく独立した国々で,この数年取り組まれてきたチェルノブイリ被災者に対する国による援助は,社会経済システムの再構築,経済政策の調整,新しい国の最優先課題の決定といった過程のなかで,新たな試練をうけたのであった.こうした理由のため,多くの「チェルノブイリ」問題は未解決のままである.ロシア連邦における主要な問題は以下の通りである.
* 汚染居住区における全体的な汚染調査がなされていない.
* 個人を防護する器具や防護用の衣類が,すべての住民には行きわたっていない.
* 「汚染」された,家庭菜園の野菜,果物,自家製ミルクなどの乳製品が,いぜんとして消費されている.
* インフレと物価の高騰のため,汚染地域住民が非汚染食料や生活必需品を買うことができない.
* 国全体の経済状態が悪化しているため,チェルノブイリ被災者は法律で決められた特典,つまり手当や,薬局での無償の薬の入手などを最近はうけられなくなっている.
* 被災地の成人に対する医学検査が完全にはなされていない.
* 医療施設のスタッフが,とくに遠隔地において不足している.
* 必要な医療機器が医療機関にそろっていない.
* 移住者用住宅の建設が滞っている.
* 社会的,文化的施設の建設が中止されている.
* 移住者の職場確保が進んでいない.
事態は明白である.チェルノブイリ事故から11年たった現在でも,もっとも危険な放射能汚染地域から避難した住民が抱える,もっとも緊急を要する問題に対してすら,政府は対処できないでいるのである.各国の中央政府が援助の縮小をもくろんでいる状態が続いていることも明らかである.将来,チェルノブイリ被災者に対する援助の重荷は,地方の行政機関と被災者自身が背負わされることになって行くであろう.
2.被災者救援の大衆運動
チェルノブイリに関連する最初の大衆運動は,事故後しばらくして発表されたチェルノブイリ口座904であった.ソ連国民は,支配システムの一環である党やソビエトの役人からこの口座について知らされた.口座番号と口座に関する情報は,すべてのラジオ,テレビで放送され,党,ソビエト,労働総同盟,そして公的な新聞のすべてに掲載された.権力機構が国民を慈善へと駆り立てたのであった.ソ連国民は,チェルノブイリ被災者のためにこの口座へ送金するように要請された.当時,それ以外のことはできなかった.(「チェルノブイリ」のものも含めどんな口座であっても)銀行に特別な口座を開くことができるのは権力だけであった.ソ連国民が開くことができたのは国営の貯蓄口座だけで,普通の銀行に口座を持つことはできなかった.ロシアには,国家中央銀行以外の銀行がなかったのである.
第1回のソ連人民代議員大会で,人民代議員がチェルノブイリ問題を公開するよう発言をはじめたとき,ソ連政府は,WHOやIAEAのいわゆる「独立した」専門家に対し,ソ連にきて,チェルノブイリ原発の事故影響について「独立した」調査を行なうよう要請した.そして,日本人科学者・重松逸造を長とする委員会ができた.この委員会の結論は,チェルノブイリ事故は住民の健康に何らの影響も及ぼさないし,国際的な専門家の調査では何らの健康被害も見られなかったというもので,多くの人に混乱をもたらした.しばらくして,ソ連政府がこの国際的な専門家たちの費用を負担したことが明らかとなった.滞在費,最高級ホテル代,その他一切の費用が,ソ連政府首相N・I・ルイシコフの指示により,「チェルノブイリ」口座904から支払われていた.このことにより,チェルノブイリ原発事故被災者に対する最初の公的な大衆慈善運動は不名誉な終焉を迎えたのであった.
1989年までのソ連においては,共産党のもの以外いかなる大衆組織も許可されなかった.当然,チェルノブイリ被災者を救援するためのいかなる大衆運動も,できる道理がなかった.ソ連人民代議員は1990年にソ連憲法第6条を破棄し,共産党独裁体制の破棄および複数政党性と大衆組織についての新しい条文を採択し,大衆組織と運動についての法律を採択した.こうしてようやくにして,チェルノブイリ被災者救援を目的としたものも含め,多様な市民運動と組織が設立されるようになったのである.
ソ連人民代議員のはじめての,まがりなりにも自由な選挙が行なわれた後,チェルノブイリ事故の影響について多くの記事が新聞などに発表されるようになり,80年代末に非公式の「緑」の運動がソ連国内のさまざまな場面に現れはじめたことは特別に指摘しておくべきだろう.いくつかの資料によれば,1987年にソ連国内に存在していた環境保護関連の非政府組織(そのすべては,疑いなく共産党中央委員会のヒモ付きであった)は38団体であった.1991年には,環境保護関連で新しく生まれた非政府組織は5倍以上に増加し,その総数は1000を超えるほどになった.
チェルノブイリ事故影響に関係する最初の非登録(つまり非合法の)非政府組織(共産党独裁当時,登録制度はまだ存在していなかった)は1986年末から1987年始めにかけて現れた.ジトーミルの町では,非登録(非合法)の政治団体「ペレストロイカ」が報道関係者の機関である「ジトーミル通信」の編集者,ヤコブ・ザイコと筆者によって生まれた.この団体の仕事の1つは,汚染地域で生きる人々の生活について,あらゆる手段を使って,その真実の姿を広めることであった.公式の共産党の新聞では,そうした情報は禁じられていたため,この情報はタイプで打ったうえで,非合法なルートで人々に配布された.1988年以降,「ペレストロイカ」は簡単な機械を使って「速記録」と名付けた新聞を100部印刷し,非合法に発行した.その新聞は,政治的なテーマやチェルノブイリ事故によるジトーミル州北部汚染地区の状況についての批判を展開した.当時,グラスノスチこそもっとも重要な課題であった.チェルノブイリ原発4号炉の本当の事実や事故影響の規模について,国内では誰も知らなかった.その上,汚染地域に残っていた人々は,自分たちについての情報が完全に隠蔽されていることに気づいた.事故による被害,病気,死といった自分たちことについて誰も知らなかった.もちろん,彼らに対する救いの手は一切存在しなかった.
1988年に,チェルノブイリ地域で何が進行しているかについて,「プロムアフトマチカ」工場労働者の集会で,筆者ははじめて公式に報告する機会を持った.さらに,ソ連の民主化の進行にともない,チェルノブイリ被災者の権利を擁護するためのはじめての集会が「ペレストロイカを支持する国民戦線」によって開かれた.この組織は,小さな団体であった「ペレストロイカ」が成長したもので,そのときには,地方の行政当局によって登録されていた.数1000人の人々がこれらの集会に参加した.ジトーミルの人々は,チェルノブイリ被災者との団結を表明し,ウクライナ政府の総辞職,チェルノブイリ原発事故影響の真相の公開,行政が被災者に対して効果的な援助を与えることを要求した.チェルノブイリ原発事故影響の情報公開を押し殺そうとする勢力に対して,ベラルーシ国内(たとえば,人々は1990年に,汚染地域からミンスクまで「聖戦」行進を行なった)と同様に,放射線の影響をうけたジトーミル州のすべての地区で集会の波がわき起こった.
こうして,チェルノブイリ事故影響の真相を求め,被災者救援にむかう市民運動が始まったのである.1991年になってようやく,チェルノブイリの直接被害者,とくに子供たちを救うことを主な目的とする非政府組織が行政当局に登録され,社会に認知された.そうした組織は,当初,キエフ,ミンスク,モスクワで結成され,共和国規模または全ソ連規模の組織としての地位を得た.当時,「チェルノブイリ」に関する24時間テレビキャンペーンがしばしば行なわれ,被災者への救援金を集めるために有効に働いた.
1989年に,多数の外国人ジャーナリストが被災地を訪れ,被災地の複雑な状況が西側諸国の新聞に掲載された.その結果,チェルノブイリ被災者を救援するための数100もの組織が,西ヨーロッパ,日本,米国に現れた.国内の非政府組織は西側諸国の組織との連携をとるようになり,国際的な非政府組織となっていった.西側諸国や日本などからチェルノブイリ被災者へ人道援助を行なううえで,官僚的な壁を乗り越えるためには,共同して作業することが役だった.チェルノブイリ被災者にむけた,日本からのたくさんの親切で熱心な人道的援助は特筆しておくべきであろう.
1989から91年にかけての数年間が,ソ連国内と諸外国における「チェルノブイリ」運動のピークであった.ソ連の崩壊とともに,「チェルノブイリ」慈善活動と原子力平和利用の被災者に対する援助は著しく弱まってしまった.チェルノブイリ問題は,独立国家の建設と国家そのもののさまざまな問題を解決するために,脇に追いやられてしまったのであった.筆者の資料によれば,今日ロシアには,チェルノブイリ被災者を,直接あるいは間接に,救援している非政府の反原発国内組織が50以上ある.また,(ロシアの組織と連携している)国際的な非政府組織もいくつかある.
ロシア国内で,「チェルノブイリ」問題に専属的にかかわっている非政府組織は25である(末尾に一覧を示してある).概していえば,それらの組織の活動は,チェルノブイリ事故被災者に対するさまざまな形の援助である.ロシア連邦議会において必要な法律を作ったり,チェルノブイリ原発事故影響に関する科学的な調査計画についてロビー活動をすることから,具体的な組織,特に子供たちの家,病院,家庭や人々を助けるための活動までさまざまである.
筆者は,チェルノブイリ孤児を援助するために設立された,ロシアでは未だ唯一の個人的慈善基金の代表をしている.この基金では,ロシア国内の放射能汚染地域にある2つの子供の家に住む150人の孤児に対して恒常的な援助をしている.また,関税の壁と,基金の能力が許すかぎりにおいて,ウクライナ・ジトーミル州ナロジチ地区のナロジチ市とバザール村で,子供病院,老人,病人,たくさんの子供を抱えた家庭を助けている.この慈善基金の人道援助のなかには,食料,ジュースなどを購入し,貧しい子供や乳幼児(子供の家に住む0歳から12歳までの孤児)に与えることも含まれている.また,医薬品,注射器,靴,本,おもちゃ,キャンディー,ビスケット,カラーテレビなどを配ることもある.
この基金は,「非汚染地域」に新しく子供の家を造り,「汚染」地域であるクリンツィ市から,子供の家を移転させるようにモスクワ市長Yu・.M・ルシコフに申し入れた.新しい子供の家の用地が見つかり,土木工事のデータがそろい,家の設計図面も引かれた.しかし,チェチェンでの戦争が始まったために,すべての作業は中断してしまった.
基金は,その能力が許すかぎり,汚染地域からの子供を治療しているジトーミル子供病院を支援している.また,汚染地域に住む低所得者の子供たちの心臓手術代を工面し,さらにウクライナ・ジトーミル州の汚染地域の老人や疾病障害者に一時金の支給をしてきた.
また,基金には奨学金制度があり,高等教育機関に在籍しているジトーミル州の優秀な学生に対し支援を行なっている.
加えて,基金の出版部では,環境保問題あるいは原子力に反対する本を編集,出版している(チェルノブイリ事故被災者には無料で配布).そして,その利益のすべてはチェルノブイリ事故被災者の救援のためだけに使われる.基金のスタッフは,さまざまな国際会議や,「緑」やその他の組織のフェスティバルに招待されたり,また「国際法廷」のメンバーに選ばれたりしている.基金は,さまざまな国際的あるいは国内的な「緑」の組織,「緑」の報道の参加者に対して特別な賞をもうけている.
基金は,西側諸国や日本に信頼できる仲間を持っている.和田あき子(東京)と日下郁夫(石巻)を代表とする組織との連携は特別に親密なものである.近年,彼らと彼らの組織は,ジトーミル州の老人に対して,またわれわれの基金が運営している2つの子供の家に対して,基金を通じてたびたび有意義な援助をしてくれた.また基金は,日本の京都大学原子炉実験所の研究者,今中哲二,小出裕章,小林圭二らと密接な共同作業を行なっている.彼らは,基金が出版した世界初の「核百科事典」の共著者でもある.
「チェルノブイリ」に関する非政府組織のうちでも,汚染地域に住み生きるために闘っている被災者が加わっている組織,あるいは事故処理作業に従事し,その結果障害をうけた人々の非政府組織について述べておきたい.ここでは,「モスクワ大学チェルノブイリ協会」および「モスクワ大学チェルノブイリ障害者協会」について紹介しておく.これらの組織は,それぞれ1991年と1994年に公式に登録され,今日ますます精力的な活動を続けている.
モスクワ大学チェルノブイリ障害者協会の主要な目的と仕事は,チェルノブイリ事故被災者あるいはその他の放射線被曝者に対する,社会・心理学的,情報関連,法律的,医学的な援助と物質的な支援である.すなわち,子供,女性,障害者,死亡した人の家族などに対する物質的,医学的,社会的援助;外国での医療を含め,子供,女性,疾病障害者に対する治療と旅行費用の工面;新しい事業をおこすことによる,協会メンバーへの職場の提供;(国際的な協力に基づく)チェルノブイリ原発事故被災地の復旧活動;チェルノブイリ原発事故影響に関するさまざまな観点(社会心理学的,法的,医学的,経済的,生態学的)からの科学的研究への資金援助,などなどである.
協会が支援してきたこれらの研究はなかなか興味深いものである.1991年以来,彼らは,チェルノブイリ原発事故影響に直接あるいは間接にかかわる約20の課題について研究を行なってきた.それらの課題のいくつかを以下に記す.「放射能で汚れた森林に生育する植物中の放射性核種の量」,「汚染地域住民の健康状態に対する,新しい医学・生物学的生活基準の影響」,「航空機乗務員とチェルノブイリ原発事故処理作業者に対する免疫学的試験の応用」,「ストレス要因への抵抗力強化手法の開発」(「チェルノブイリの子供たち」計画の一環).
また,モスクワ大学チェルノブイリ障害者協会は,モスクワ市当局によって認められた「チェルノブイリ事故による被災者と疾病障害者の社会的救済のための1997年プログラム」にも参加している.
モスクワ大学チェルノブイリ障害者協会が最近始めた取り組みの1つに,被災地からモスクワにきたものの,高等専門機関に入るうえで困難を抱えている子供たちへの教育支援がある.“チェルノブイリ人”の子供500人を支援する計画が進んでいる.
チェルノブイリ事故被災者救援をめざした大衆組織の問題を考えるに当たって,避けて通ることのできない問題がある.チェルノブイリ事故後,真相の報道を妨害し,また汚染地域住民の状態に関してたびたび嘘の情報を流してきた組織や人々がいる.そうした組織や人々が,グラスノスチの大改革の後,チェルノブイリ被災者救援組織を作り,自分たちこそ被災者の本当の友人だといいはじめている.
そうした皮肉なケースがジトーミルで起こった.筆者は1987年当時「ラジャンスカ・ジトーミル」新聞の記者をしていたが,その新聞の編集者D・パンチュークは,私がジトーミル州ナロジチ地区の被災地域を訪ねることを許さなかった.でも,私はそれらの村を訪ね,真実を伝える記事を書いた.編集者はそれを掲載しなかった.その代わり,別の記者による,被災地ではすべてがうまくいっている,という嘘の記事が掲載された.ところが,チェルノブイリ問題を取り上げることが危険でなくなってから,D・パンチュークは彼の同類と一緒になって,ジャーナリストの地方組織のなかにチェルノブイリ被災者救援のための基金を設立した.驚いたことに,こんないんちき基金が日本と関係を持つようになったのである.彼らの真の姿を知らずに接触を持った日本の人たちは,人道的な目的(そのことは本当にありがたいことだが…)をもって,ジトーミルにやってきた.そして,被災地の真相を隠蔽せよという共産党の決定を躊躇することなく履行し,仲間であるべき住民のストレス,病気,そして死に対してまさに罪のある人々と会ったのであった.チェルノブイリを秘密にすることに荷担した人々が日本に招待され,彼らがいかに勇敢にチェルノブイリの真実を伝えたかを日本の人たちに語り,そして新聞のインタビューに応じた.これ以上皮肉な例は想像することができない.私はこのことを,全ソ連とウクライナの新聞で2度にわたって記事にしなければならなかった.
しかし,ジトーミルでの出来事は決して例外ではない.チェルノブイリの真相を隠してきた人々が,大衆組織のレベルで真実の擁護者に転身したり,独立した国家において高い地位についている例は他にもたくさんある.
参考文献
1. State Law of the Russian Federation "On Social Protection for Citizens Who Suffered from the Catastrophe At the Chernobyl Nuclear Power Plant". Moscow. 1995.
2. On Common Program and Situation Concerning Liquidation of Chernobyl Catastrophe's Consequences. The Resolution by Supreme Soviet of the USSR. Moscow. 1989. Author's archive.
3. An International Day of Environment. Expert's Evaluations of Programs and Decisions Concerning Liquidation of Chernobyl Catastrophe's Consequences. Moscow. 1990.
4. A.Yaroshinskaya. Bluff and Poverty. Stolitza. 1991. Moscow; Komsomolskoe znamya. #136.1991. Kiev.
5. A. Yaroshinskaya. Chernobyl. Top Secret. Tokyo. 1993.
6. Statute of Scientist's Assosiation of Chernobyl's Invalids of Moscow State University. 1994. Author's arhive.
7. Social Ecological Movement of Russia. Moscow. 1995.
8. Information about Actions of Belorussia Charitable Fund "To Children of Chernobyl". 1995. Manuscript is in author’s arhive.
9. World Antinuclear Movement. Nuclear Encyclopedia. Moscow. 1996.
10. A.Dumnova, E.Vosmirko. 11 Years after Chernobyl. Zelenuy mir. #10. 1997, Moscow.
11. On Complex Program of Social Assistance for Invalids and People which Received Mutilations in Condition with Chernobyl Catastrophe. The Resolution by Moscow Government #95, 1997. Tverskayay, 13. #11. 1997.
12. Blue Pages. Moscow. 1997.
ロシアの国内あるいは国際チェルノブイリ被災者救援非政府大衆組織リスト
1. チェルノブイリ"SOS":Chernobyl "SOS"? Obninsk division of the international association. Obninsk. Moscow region.
2. チェルノブイリの子供たち:"Children of Chernobyl" ? division of the Belorussian Committee. Moscow.
3. チェルノブイリ事故被災者協会:Public Association of Persons Affected as a Result of the Catastrophe at the Chernobyl NPS. Moscow.
4. チェルノブイリ事故被災者救済国際基金:Division of the International Foundation for Assistance to Victims of Chernobyl. Moscow.
5. 虹21:"Raduga-XXI" ? division of the international non-government humanitarian organisation "Foundation "Chernobyl - help" of North America. Moscow.
6. チェルノブイリ救済医療基金:Foundation "Social Protection and Medical Provision of the Chernobylers". Moscow.
7. スペック・チェルノブイリ:"Spec.Chernobyl" Foundation. Moscow.
8. チェルノブイリ障害者,孤児,難民支援療養基金:Foundation of assistance and rehabilitation of invalids, orphans, refugees and victims of Chernobyl. Moscow
9. チェルノビラー:"Chernobyler" ? social protection foundation. Moscow.
10. ロシアチェルノブイリ同盟:Union "Chernobyl" of Russia. Moscow, with divisions over the country.
11. チェルノブイリ:"Chernobyl" ? association of the Union. Moscow.
12. チェルノブイリ・ヘルプ:"Chernobyl-Help" ? the international humanitarian organisation. Moscow.
13. チェルノブイリ・チェルノブイリの子供たち:"Chernobyl, Children of Chernobyl" ? division of the international association. Ul'yanovsk.
14. チェルノブイリ労働者同盟:"Union of Chernobyl Workers" ? Russian association. Voronezh region, settlement Ramon.
15. チェルノブイリ・アトム:"Chernobyl-Atom" ? international association of unions. Moscow.
16. チェルノブイリ・病院:"Chernobyl-Hospital" ? foundation. Moscow.
17. チェルノブイリ・希望:"Chernobyl-Hope" ? foundation for assistance to invalids, injured, ill, overirradiated as a result of Chernobyl catastrophe. Moscow.
18. チェルノブイリ安全基金:Chernobyl Safety Foundation. Moscow.
19. チェルノブイリ・エネルギー盾:"Chernobylenergozaschita" ? association for social protection of citizens who took part in liquidation of the consequences of the accident at the Chernobyl NPS. Moscow.
20. チェルノブイリ・ミッション:Chernobyl Mission" ? public organisation. Moscow.
21. チェルノブイリ・シベリア支部:Operative department at the Siberia regional division "Chernobyl". Novosibirsk.
22. チェルノブイリ:"Chernobyl" ? public association of invalids of war and Chernobyl. Moscow.
23. ヤロシンスカヤ・チャリティ基金:Private Charity Foundation of Yaroshinskaya (assistance to people affected by the accident at the ChNPS). Moscow.
24. チェルノブイリ協会:Association "Chernobyl ? Moscow State University"
25. 国立モスクワ大学チェルノブイリ疾病障害者協会:The Moscow State University Scientific Association of Chernobyl Invalids. Moscow.
引用ここまで
原文は、『チェルノブイリによる放射能災害 国際共同研究報告書』の中の
【被災者救援活動の諸問題とロシアの現状】
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/J-Version.html
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Yr96B-J.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット 」
の参考記事にさせていただきました。
被災者救援活動の諸問題とロシアの現状
アラ・ヤロシンスカヤ
ヤロシンスカヤ・チャリティ基金(ロシア)
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1. 政府による被災者援助
ソ連時代
1996年4月26日,チェルノブイリ原子力発電所で史上最悪の原発事故が起こったとき,ソ連には,数100基に上る研究用原子炉のほか,核兵器や軍事産業の原子炉が文字通り全土に散らばっていた.それにもかかわらず,ソ連には,起こりうる原発事故の犠牲を防ぐための法律が1つもなかった.それがソ連の現実であった.チェルノブイリ原発事故が起こったとき,ソ連政府は被災者,たとえば原発職員,事故処理作業者,被災住民を救済するためのいかなる法律も持っていなかった.事故から5年間,ソ連最高会議は被災住民を保護し,彼らに特典や補償を与えるためのいかなる立法処置もとらなかった.どうしてこのような事態が許されたのであろうか? 共産党支配のもとのソ連では,被災住民の数はもちろん,事故による汚染の強さや規模も明らかにされなかった.事故後5年間,ソ連共産党中央委員会が,各共和国や地方の共産党組織に対してさまざまな布告を出し,それが「法律」の役目を果たした.そうした布告は,共産党中央委員会とソ連政府との合同の布告として出されるのが通例で,当然それらは秘密であった.たまにその布告が公開されたときには,被災者の数やその状況についての具体的な情報は含まれていなかった.
事故直後,行政当局はチェルノブイリ原発の職員や消防士に対する救命活動を行なったが,それは準備のないままの緊急時行動であった.行政当局には,巨大な原発災害に対する備えがなかったため,事故処理作業を効果的に調整することもできなかった.そのため,ヨウ素防護剤も必要なとき(事故後8日の間)には配布されなかった.ソ連国防省と民間防衛隊のおびただしい化学部隊,機械化部隊,特別軍事物資,輸送機械などが,放射線量測定や除染作業に動員されたが,行政当局には,チェルノブイリ周辺30kmゾーンから11万6000人の住民を速やかにまた効果的に避難させることはできなかった.共産党支配体制の強固な秘密主義のもとでは,事故の真相を明らかにする必要がなかったし,そのことによって,こうした失策が生まれたのである.共産党と政府の指導者たちは,ただ密室の中で悲劇について語り合っていただけであった.
30kmゾーンの村々からの住民の避難は,詳細な計画のないまま実行された.人々は,しばらくの間,たとえば2〜3週間,村を離れ,再び戻ってくるということ以外,詳しい説明はなにもうけなかった.しかし,汚染地域の行政当局者のうちの幾人かは,村人たちが2度と故郷に戻れないだろうとそのときに感じ取っていたと後に回想している(アラ・ヤロシンスカヤ,「チェルノブイリ:極秘」,1992).
筆者は1989年に,もっともひどい汚染をうけた州の1つであるウクライナ・ジトーミル州からソ連人民代議員に選ばれた.ジトーミル州のナロジチおよびルギヌイ地区から住民を移住させる必要があることを示す書類を携え,私はモスクワにきて,ソ連政府の燃料エネルギー資源局を訪ねた.当時,その局はチェルノブイリ事故影響の処理作業に当たっていた.それにもかかわらず,局上層部は,移住についてはいっさい聞く耳を持たなかった.しかし,第1回ソ連人民代議員大会において,筆者が事実を報告したことによって,即刻12の村の移住が決定された.このことは,1989年になるまで政府の計画には,チェルノブイリ被災者を救うための科学的な方策がなにもなかったことを示している.しかし,そうするために必要な科学的な思考力がなかったためではない.問題は“グラスノスチ(情報公開)”と関連している.“閉鎖社会”とチェルノブイリ事故の“グラスノスチ”とは,お互い原理的に相容れないのであった.
チェルノブイリ事故後5年間,事故処理対策と住民救済対策の調整は,行政機関の厳格な指揮命令系統に従ってなされた.この目的のために,ソ連共産党中央委員会政治局に特別作業グループが設置され,数年にわたって活動した.当初,このグループの会議は毎日開かれたが,次第に頻度が少なくなっていった.作業グループは,各共和国,政府,国防省,保健省からの報告をうけ,さらに作業グループの構成メンバーからの報告をうけた.そして,即座にいっさいの問題について決断を下した.すなわち,病院への収容,退院,汚染地域で消費する野菜や果物の最大許容濃度の増加,住民の移住,原発職員への援助,住民への補償のために導入する特典,そして被災住民への医療援助などである.
多様な課題に対して行政当局がとった行動は,秘密でかつ調整がとれていなかったため,行政権力はさまざまなレベルで職権濫用を行なった.たとえば,ジトーミル州ナロジチ地区で,移住民のためにキエフ,リボフ,ジトーミルなどにアパートを配分していた役人は,いくつものアパートを自分で取り込んでしまい,本当にそれを必要としている人々に配分しなかった.
その上,もう1つの理由で,決定事項の有効性は低かった.つまり,当時,ソ連国内で食糧供給が十分でなかったのは,単に被災した地域だけでなく,大きな都会や町も同様だったのである.そのため,チェルノブイリ事故被災者への食糧供給を改善するというソ連共産党中央委員会の決定は,実質的には実現できないものであった.共産党の決定に従い,被災住民は「非汚染」食料のために,毎月30ルーブル(住民はそれを「棺桶代」と呼んだ)を支給された.ところが,村の店には「非汚染」食料などなかった.店にはもともと品物がなかったのである.食料の総量自身が足りないのであった.
1989年の段階ではチェルノブイリ事故被害に対処するための3つの独立した計画が存在していた.すなわち,ウクライナの計画,ベラルーシの計画,そして1988年から90年に至る間のロシア・ブリャンスク州での計画である.
1990年にはじめて,チェルノブイリ事故についての議会公聴会が開かれた.この公聴会を基に,ソ連最高会議は,チェルノブイリ事故影響に対処し,包括的な国家計画を実行し,また汚染地域での生活基準についてのはじめての布告を採択した.さらに,ソ連政府の国家専門家委員会(筆者もまたソ連人民代議員としてこの委員会に加わった)が設置され,チェルノブイリ事故影響に対処するためのすべての国家計画の実行に当たることとなった.
事故影響に対処するための3つの計画,すなわちウクライナ,ベラルーシ,そしてロシアのブリャンスク州のものが,専門家委員会に新たに提出された.科学的な手法に基づき,それなりに包括的で,また簡潔な内容を持っていたのはベラルーシの計画だけであった.この計画には,長い間政府の計画では触れられることのなかった重大な問題が含まれていた.つまり,被災地住民への特典の提供基準である.ウクライナの計画には署名すらなく,誰が作成したものかもわからなかった.複数の「部分」が機械的に1つの文書として合体させられたことが明白に見て取れた.もっとも奇妙だったのはロシアの計画であった.その時点ですでに,ロシア国内のブリャンスク州以外の州,たとえばオリョール,カルーガ,ツーラの各州も汚染されていることがわかっていたのに,ロシア連邦共和国の計画では,ブリャンスク州だけしか取り上げられていなかった.
議会や政府内で度重なる議論を積み重ねた後,「チェルノブイリ原発事故被災地での生活に関する基本的考え方」が,1991年4月に,国家専門家委員会で採択された.この「基本的考え方」に従って,防護対策とその規模,また住民への損害補償を決める際のもっとも重要な基準は,チェルノブイリ事故による放射線被曝量であることになった.そして,年間の実効線量当量が0.1レム(1mSv)を越えないような被曝は容認できると定められた.「汚染」地域に現に住んでいる人たち,あるいは定められた最小の期間以上かってそこに住んでいた人たちは,特典,補償,あるいは社会的・医学的援助システムを通じて,損失を回復する権利が与えられた.
ロシア住民に対する社会補償システムは,「チェルノブイリ原発事故による放射線被災者の社会的防護について」というロシア連邦共和国の法律が成立した1991年5月になってようやく動き出した.法律を実施に移すために,実質的な基準をたてるための40を越える付則が立案採択された.それでもなお,特に住民に対する補償の支払いの点で,この法律は能率が悪かった.そのため,1992年6月に修正と付則の導入が行なわれた.
チェルノブイリ原発事故の被災住民に対して,ソ連時代(1986-1991年)の政府がとった対策をまとめると,その質と有効さは別として,以下に述べる方向に区分される.
* 放射能汚染地域の面積を減らすための復旧・除染処置
* 汚染地域に住む住民に対する社会保障の強化:汚染地域から非汚染地域への移住,住居の補償,「非汚染」食料のための補償,医療上の援助特典.
当時,住民の詳細な検査を実施したり,健康状態の変化を知るために,チェルノブイリ原発事故被災地に医療チームが派遣された.残念ながら,すべての情報は,住民はもちろん(E・B・ブルラコーワによれば)ロシアの科学者に対してさえ秘密にされた.
しかしながら,この期間に,地域の健康管理のための物質的・技術的基盤は大幅に改善された.診断のためのネットワークと医療保養センターが確立され,医療職員に先進的な訓練が実施されたりした.
ロシア連邦のチェルノブイリ原発事故影響対策国家委員会のデータによれば,ロシア国民の健康状態の検査が,地方の医療機関および25の主要な研究所によって行なわれた.医学・被曝量に関するロシアの国家登録も策定された.そのデータベースには,チェルノブイリ事故の結果,放射線に被曝した13万7600人の情報が含まれている.内訳は,いわゆる事故処理作業者9万7000人,汚染地域から避難した3000人,汚染地域に住む3万5000人を超える人々,事故処理作業者から生まれた2600人以上の子供たちである.
チェルノブイリ事故直後の数年,ソ連政府は,移住者のための住宅建設に資金を配分した.しかし,その場合にも,イデオロギーが大きな作用を及ぼした.事故の規模を隠蔽するために,被災者のための新しい住宅が,汚染地域の中に造られた.たとえば,ナロジチ地区の「汚染」地域内に50棟のアパートが建設され,そのためにジトーミル州だけで,(当時の貨幣で)2億ルーブルが投入された.移住者たちは,住宅建設が行政側の欺瞞であることを知り,そこには住まなかったことを指摘しておく.
ロシア連邦内では,汚染地域内の412の居住地で除染が行なわれた.およそ1万3000人の人々がブリャンスク州の汚染地域から移住させられた.うち,5500人は強制移住地域からの人々であった.18の居住地は完全に放棄された.ロシア連邦内では,1993年までに,およそ5万人の人々が,移住させられたり,自発的に汚染地域を離れたりした.
農作物への放射性核種の蓄積を減らすために,汚染地域において特別な農業化学的研究が行なわれたことも興味深い.ブリャンスク,オリョール,ツーラ,カルーガ各州のいくつかの地区では,マグサの種まきが拡大され,穀類の種まきは減少させられた.また,ソバやアブラナの種は撒かれなかった.何人かの専門家(たとえば,チェルノブイリ原発事故影響対策国家委員会の前委員長,V・Ya・ボズニャク)は,こうしたことによって,土壌は肥沃になり,植物に取り込まれる放射性核種の量は1.5分の1ないし4分の1に減ったと述べている.V・Ya・ボズニャクは,ソ連時代にチェルノブイリ事故の情報を隠した張本人であり,そんな人がいっているかぎり,筆者は個人的にはそのような数字を信じない.そもそも,放射能で汚染していることがわかっている土地に,人が食べるための食料を植えること,あるいはそれが家畜用のマグサだとしても,そんなことが本当に必要なのかどうか疑問である.筆者には,健康に対する永久的な危険がある地域に人々を居住させようとするモスクワ官僚の論理は理解できないし,うけ入れられない.
ソ連崩壊後
ソ連が崩壊してしまってからは,強い汚染をうけた3つの共和国は,それぞれが自分の力でチェルノブイリの問題に当たらなければならなくなった.独立国家共同体(CIS)が生まれた時点(1991年末)で,チェルノブイリ事故によるセシウム137の汚染が1Ci/km2を超える地域は,ロシア,ウクライナ,ベラルーシを合わせると,10万km2を超えていた.新しく生まれたそれぞれの国家にとって,チェルノブイリ原発事故被災者の社会的な救済という問題はそのまま残っていた.たとえば,汚染密度が15〜40Ci/km2以上の地域は,いわゆる放射能汚染Bゾーン(ロシア,ウクライナ,ベラルーシのチェルノブイリ関連法令による)と呼ばれるが,そこから人々を移住させねばならなかった.
チェルノブイリ原発事故からすでに11年の歳月が流れたが,事実は悲しいものである.ソ連政府も,また民主的な政府も,彼らの議会が採択したチェルノブイリ法によって定められた最低限の補償すら,国民に与えられずにいる.その上,国家による移住への援助は今日ますます減少している.たとえば,(A・ドゥムノフ,E・ボシミルコによれば)ベラルーシで,(モギリョフ州とゴメリ州の)強制的あるいは自発的な移住対象地域から移住した人は,1993年には4410人であったが,1995年には,わずか1723人となった.ロシアでは,(ブリャンスク,カルーガ,ツーラ各州の)強制的あるいは自発的移住対象地域から移住した人は,1993年には2790人であったが,1995年には,わずか1370人であった.同じことは,ウクライナでも見られる.
暫定的なデータによれば,ロシアでは(ブリャンスク,カルーガ,ツーラ各州の)強制的あるいは自発的移住地域に住んでいる人の数は1997年初頭で41万400人,ベラルーシで32万3000人,ウクライナで67万3000人(さらに,キエフ州の特別規制地域に479人)いる.簡単な計算で分かるように,現在の移住のスピードが変わらなければ,これらの国で強制的あるいは自発的移住対象地域から人々が移住し終わるまでには,数10年の時間がかかってしまう.
ロシア連邦の法律「チェルノブイリ原発事故による放射線被災者の社会的保護について」によって,被災市民の定義がされている.法の第3章において被災者は12に分類され,法による補償と特典供与の基礎となっている.チェルノブイリ被災者がうけるすべての特典と補償の内容は,この法律で詳しく規定されている.以下にそのうちのいくつかを示す.
1. 事故によって急性放射線障害その他の病気,疾病障害者となった人は,以下の特典をうける.医学的治療(病院や移動検診車)が無料,医師の処方箋に示された薬は無料,歯の治療と入れ歯は無料,年1度の保養所での療養と平均的な旅行費用は無料などなど.働いている疾病障害者は,連続した4カ月あるいは年間5カ月まで,労働不能の手当として平均賃金の全額をうける.家屋条件の改善,あるいはアパートの別室が必要と認められた人は,現在の住居に住んでいる期間の長さに関係なく,申請から3カ月以内に,現代的な設備を備えた部屋を無料で提供される.上記の被災者および同居している家族は,家賃の5割減免,電話,ラジオ,TVアンテナその他の設備の5割減免,ガス,暖房,水,電気も5割減免,ロシア国内ならどこでも年1回にかぎって,すべての種類の旅客運賃が無料,所得税ほかすべての税金の免除など.
2. 移住の権利が与えられているゾーン内で恒常的に生活(あるいは労働)している人は,居住時期にしたがって,毎月の手当(法律にしたがって定められた最低賃金に対する割合)をうける.
* 1986年4月26日以来の居住者:最低賃金の40%
* 1987年1月1日以来の居住者:最低賃金の30%
* 1991年1月1日以来の居住者:最低賃金の20%
現在のロシアでの最低賃金は,月8万4000ルーブルである.したがって,上に述べたゾーン内での居住者はそれぞれ,3万3600,2万5200,1万6800ルーブルの手当をうける.
1. 強制移住地域に恒常的に生活する住民の場合には,下に示す居住時期に応じて,移住するまでの間,毎月手当(法律にしたがって定められた最低賃金に対する割合)をうけ取る.
* 1986年4月26日以来の居住者:最低賃金の60%
* 1987年1月1日以来の居住者:最低賃金の50%
* 1991年1月1日以来の居住者:最低賃金の30%
たとえば,1987年1月1日から,強制移住地域で生活(あるいは労働)している人の場合,他地域に移住するまでの間,毎月4万2000ルーブルの手当をうける.
この地域の住民で,職のない年金生活者,疾病障害者,障害を持った子供の場合には,さらに高額の年金や特典をうける権利を持つ.この場合も,以下に示す居住期間に応じ,また法律にしたがって定められた最低賃金に対する割合として定義されている.
* 1986年4月26日以来の居住者:最低賃金の300%
* 1987年1月1日以来の居住者:最低賃金の200%
* 1991年1月1日以来の居住者:最低賃金の100%
また,小学生から大学院生まで,移住対象地域の学校においては100%の学生に奨学金が支給される.ロシアの高等教育機関の学生に対する奨学金は,最低賃金と同額の8万4000ルーブルである.強制移住地域内の高等教育機関の学生は,16万8000ルーブルの奨学金をうけることができる.この地域の住民には,法律によってその他の特典も保証されている.
法律には,チェルノブイリ事故で損なわれた健康に対して補償する規定(第5章)がある.たとえば,1級あるいは2級の障害者に対しては,最低賃金の5カ月分を1年間の手当として支払うように法律が定めている.最低賃金は月8万4000ルーブルであるから,1級,あるいは2級の疾病障害者は,彼らが失った健康の補償として毎年42万ルーブルをうけ取ることになっている.
チェルノブイリ事故によって健康を害した他の分類に属する人々に対しても法律は手当を支給するように定めている.
しかしながら,国家の経済状態が厳しいため,チェルノブイリ事故被災者に対する支払いや補償は,ますます遅配されるようになってきている.
汚染地域に住む人たちへの国の支援の度合いを測る尺度の1つは,移住者のための住居,社会的・文化的施設の建設,被災者を雇用するための産業施設設立といった投資の合計額である.チェルノブイリ事故影響対策のための費用は,被災各国の予算において,特別の項目として計上されている.しかし,近年,この合計額は縮小される傾向にある.国家財政全体の後退,インフレ,新しく独立した国家が抱える過渡的な経済問題などが,その原因となっている.各国の経済全体での投資額は,毎年10〜30%の割合で落ち込んでいる.チェルノブイリ事故関連の投資額は,さらに著しく落ち込んでいる.ベラルーシ,ロシア,ウクライナ3国における昨年(1996年)のチェルノブイリ関連の投資額は,それぞれ1億2000万ルーブル,6000万ルーブル,1億8500万ルーブルであった.これら3国におけるチェルノブイリ事故復旧関連の住宅建設は,1995年に比べて40%も縮小された.1995年と比較して,ロシアでは27%,ベラルーシでは62%,ウクライナでは,75%の住宅しか完成できなかった(A・ドゥムノフ,E・ボシミルコ).
モスクワの政府がブリャンスク州ポトチップ地区(モスコフスキー村)で建設していた150軒の住宅建設は,チェチェンでの戦争が始まった後,凍結された.住民や移住者にとって大変重要な生活基盤である診療所,病院,中学校などは,昨年,ロシアでは全く開設されなかった.非汚染地域に移住はしたものの職のない人たちにとっては,問題が山積みである.移住者のための職はほとんど作られていない.新しい土地になじめない移住者たちは,しばしば元の「汚染」された家や土地に舞い戻っている.ロシア政府は,1997年1月に,舞い戻った移住者用の住宅を造るための基金を設立する布告を採択した.
財政の困難は,大人の療養問題だけでなく,子供の療養にも及んでいる.ロシア連邦においては,大統領直々の多目的計画「ロシアの子供たち」が,すでに数年にわたって機能していた.そのなかの1つに「チェルノブイリの子供たち」があった.大統領の計画であるにもかかわらず,昨年は十分な資金がえられなかった.1996年の9カ月間に,249億730万ルーブルの資金が「チェルノブイリの子供たち」計画を実施するために配分された.この額は年間計画のわずか13%でしかない.
汚染地域の住民が個人の畑で作った「汚染」食料を食べている問題もいまだに深刻である.まず第1に,ミルク,乳製品,肉,野生の果物,木の実,キノコが問題である.事故後の数年間は,それらの食料について何がしかの規制があったが,現在では,これらの地域で実質的な規制はなされていない.
また,汚染地域住民に非汚染食糧を供給する問題も解決されていない.たとえば,1995年にウクライナの汚染地域に供給できた「非汚染」のミルク,バター,植物油,肉,野菜,砂糖などは,1991年に比べてわずか8〜20%であった.1994年との比較では,野菜,肉,植物油,種々の穀物の供給は半分に,ミルクと砂糖の供給は3分の1以下に減っている.ロシア,ベラルーシの多くの地域でも同様である.
チェルノブイリ被災者への国の援助に関しては,職権の濫用について触れずにいられない.チェルノブイリ原発事故によって放射線の被害をうけたいくつかの地域において,被災者が抱える問題を解決するために配分された予算が他のことに使われてしまったことが,以前から知られている.たとえば,ロシア連邦ブリャンスク州では,地方行政機関が,チェルノブイリ被災者のための予算を地方空港建設のために使ってしまった.ウクライナのジトーミル州では,役人のための保養施設の建設に予算の一部が転用された.数年前には,ウクライナのキエフで,国からきた「チェルノブイリ」用の予算が,高官の個人的な基金に横流しされるという汚職が発覚した.この汚職事件は内閣メンバーを含んだものであった.
このように,新しく独立した国々で,この数年取り組まれてきたチェルノブイリ被災者に対する国による援助は,社会経済システムの再構築,経済政策の調整,新しい国の最優先課題の決定といった過程のなかで,新たな試練をうけたのであった.こうした理由のため,多くの「チェルノブイリ」問題は未解決のままである.ロシア連邦における主要な問題は以下の通りである.
* 汚染居住区における全体的な汚染調査がなされていない.
* 個人を防護する器具や防護用の衣類が,すべての住民には行きわたっていない.
* 「汚染」された,家庭菜園の野菜,果物,自家製ミルクなどの乳製品が,いぜんとして消費されている.
* インフレと物価の高騰のため,汚染地域住民が非汚染食料や生活必需品を買うことができない.
* 国全体の経済状態が悪化しているため,チェルノブイリ被災者は法律で決められた特典,つまり手当や,薬局での無償の薬の入手などを最近はうけられなくなっている.
* 被災地の成人に対する医学検査が完全にはなされていない.
* 医療施設のスタッフが,とくに遠隔地において不足している.
* 必要な医療機器が医療機関にそろっていない.
* 移住者用住宅の建設が滞っている.
* 社会的,文化的施設の建設が中止されている.
* 移住者の職場確保が進んでいない.
事態は明白である.チェルノブイリ事故から11年たった現在でも,もっとも危険な放射能汚染地域から避難した住民が抱える,もっとも緊急を要する問題に対してすら,政府は対処できないでいるのである.各国の中央政府が援助の縮小をもくろんでいる状態が続いていることも明らかである.将来,チェルノブイリ被災者に対する援助の重荷は,地方の行政機関と被災者自身が背負わされることになって行くであろう.
2.被災者救援の大衆運動
チェルノブイリに関連する最初の大衆運動は,事故後しばらくして発表されたチェルノブイリ口座904であった.ソ連国民は,支配システムの一環である党やソビエトの役人からこの口座について知らされた.口座番号と口座に関する情報は,すべてのラジオ,テレビで放送され,党,ソビエト,労働総同盟,そして公的な新聞のすべてに掲載された.権力機構が国民を慈善へと駆り立てたのであった.ソ連国民は,チェルノブイリ被災者のためにこの口座へ送金するように要請された.当時,それ以外のことはできなかった.(「チェルノブイリ」のものも含めどんな口座であっても)銀行に特別な口座を開くことができるのは権力だけであった.ソ連国民が開くことができたのは国営の貯蓄口座だけで,普通の銀行に口座を持つことはできなかった.ロシアには,国家中央銀行以外の銀行がなかったのである.
第1回のソ連人民代議員大会で,人民代議員がチェルノブイリ問題を公開するよう発言をはじめたとき,ソ連政府は,WHOやIAEAのいわゆる「独立した」専門家に対し,ソ連にきて,チェルノブイリ原発の事故影響について「独立した」調査を行なうよう要請した.そして,日本人科学者・重松逸造を長とする委員会ができた.この委員会の結論は,チェルノブイリ事故は住民の健康に何らの影響も及ぼさないし,国際的な専門家の調査では何らの健康被害も見られなかったというもので,多くの人に混乱をもたらした.しばらくして,ソ連政府がこの国際的な専門家たちの費用を負担したことが明らかとなった.滞在費,最高級ホテル代,その他一切の費用が,ソ連政府首相N・I・ルイシコフの指示により,「チェルノブイリ」口座904から支払われていた.このことにより,チェルノブイリ原発事故被災者に対する最初の公的な大衆慈善運動は不名誉な終焉を迎えたのであった.
1989年までのソ連においては,共産党のもの以外いかなる大衆組織も許可されなかった.当然,チェルノブイリ被災者を救援するためのいかなる大衆運動も,できる道理がなかった.ソ連人民代議員は1990年にソ連憲法第6条を破棄し,共産党独裁体制の破棄および複数政党性と大衆組織についての新しい条文を採択し,大衆組織と運動についての法律を採択した.こうしてようやくにして,チェルノブイリ被災者救援を目的としたものも含め,多様な市民運動と組織が設立されるようになったのである.
ソ連人民代議員のはじめての,まがりなりにも自由な選挙が行なわれた後,チェルノブイリ事故の影響について多くの記事が新聞などに発表されるようになり,80年代末に非公式の「緑」の運動がソ連国内のさまざまな場面に現れはじめたことは特別に指摘しておくべきだろう.いくつかの資料によれば,1987年にソ連国内に存在していた環境保護関連の非政府組織(そのすべては,疑いなく共産党中央委員会のヒモ付きであった)は38団体であった.1991年には,環境保護関連で新しく生まれた非政府組織は5倍以上に増加し,その総数は1000を超えるほどになった.
チェルノブイリ事故影響に関係する最初の非登録(つまり非合法の)非政府組織(共産党独裁当時,登録制度はまだ存在していなかった)は1986年末から1987年始めにかけて現れた.ジトーミルの町では,非登録(非合法)の政治団体「ペレストロイカ」が報道関係者の機関である「ジトーミル通信」の編集者,ヤコブ・ザイコと筆者によって生まれた.この団体の仕事の1つは,汚染地域で生きる人々の生活について,あらゆる手段を使って,その真実の姿を広めることであった.公式の共産党の新聞では,そうした情報は禁じられていたため,この情報はタイプで打ったうえで,非合法なルートで人々に配布された.1988年以降,「ペレストロイカ」は簡単な機械を使って「速記録」と名付けた新聞を100部印刷し,非合法に発行した.その新聞は,政治的なテーマやチェルノブイリ事故によるジトーミル州北部汚染地区の状況についての批判を展開した.当時,グラスノスチこそもっとも重要な課題であった.チェルノブイリ原発4号炉の本当の事実や事故影響の規模について,国内では誰も知らなかった.その上,汚染地域に残っていた人々は,自分たちについての情報が完全に隠蔽されていることに気づいた.事故による被害,病気,死といった自分たちことについて誰も知らなかった.もちろん,彼らに対する救いの手は一切存在しなかった.
1988年に,チェルノブイリ地域で何が進行しているかについて,「プロムアフトマチカ」工場労働者の集会で,筆者ははじめて公式に報告する機会を持った.さらに,ソ連の民主化の進行にともない,チェルノブイリ被災者の権利を擁護するためのはじめての集会が「ペレストロイカを支持する国民戦線」によって開かれた.この組織は,小さな団体であった「ペレストロイカ」が成長したもので,そのときには,地方の行政当局によって登録されていた.数1000人の人々がこれらの集会に参加した.ジトーミルの人々は,チェルノブイリ被災者との団結を表明し,ウクライナ政府の総辞職,チェルノブイリ原発事故影響の真相の公開,行政が被災者に対して効果的な援助を与えることを要求した.チェルノブイリ原発事故影響の情報公開を押し殺そうとする勢力に対して,ベラルーシ国内(たとえば,人々は1990年に,汚染地域からミンスクまで「聖戦」行進を行なった)と同様に,放射線の影響をうけたジトーミル州のすべての地区で集会の波がわき起こった.
こうして,チェルノブイリ事故影響の真相を求め,被災者救援にむかう市民運動が始まったのである.1991年になってようやく,チェルノブイリの直接被害者,とくに子供たちを救うことを主な目的とする非政府組織が行政当局に登録され,社会に認知された.そうした組織は,当初,キエフ,ミンスク,モスクワで結成され,共和国規模または全ソ連規模の組織としての地位を得た.当時,「チェルノブイリ」に関する24時間テレビキャンペーンがしばしば行なわれ,被災者への救援金を集めるために有効に働いた.
1989年に,多数の外国人ジャーナリストが被災地を訪れ,被災地の複雑な状況が西側諸国の新聞に掲載された.その結果,チェルノブイリ被災者を救援するための数100もの組織が,西ヨーロッパ,日本,米国に現れた.国内の非政府組織は西側諸国の組織との連携をとるようになり,国際的な非政府組織となっていった.西側諸国や日本などからチェルノブイリ被災者へ人道援助を行なううえで,官僚的な壁を乗り越えるためには,共同して作業することが役だった.チェルノブイリ被災者にむけた,日本からのたくさんの親切で熱心な人道的援助は特筆しておくべきであろう.
1989から91年にかけての数年間が,ソ連国内と諸外国における「チェルノブイリ」運動のピークであった.ソ連の崩壊とともに,「チェルノブイリ」慈善活動と原子力平和利用の被災者に対する援助は著しく弱まってしまった.チェルノブイリ問題は,独立国家の建設と国家そのもののさまざまな問題を解決するために,脇に追いやられてしまったのであった.筆者の資料によれば,今日ロシアには,チェルノブイリ被災者を,直接あるいは間接に,救援している非政府の反原発国内組織が50以上ある.また,(ロシアの組織と連携している)国際的な非政府組織もいくつかある.
ロシア国内で,「チェルノブイリ」問題に専属的にかかわっている非政府組織は25である(末尾に一覧を示してある).概していえば,それらの組織の活動は,チェルノブイリ事故被災者に対するさまざまな形の援助である.ロシア連邦議会において必要な法律を作ったり,チェルノブイリ原発事故影響に関する科学的な調査計画についてロビー活動をすることから,具体的な組織,特に子供たちの家,病院,家庭や人々を助けるための活動までさまざまである.
筆者は,チェルノブイリ孤児を援助するために設立された,ロシアでは未だ唯一の個人的慈善基金の代表をしている.この基金では,ロシア国内の放射能汚染地域にある2つの子供の家に住む150人の孤児に対して恒常的な援助をしている.また,関税の壁と,基金の能力が許すかぎりにおいて,ウクライナ・ジトーミル州ナロジチ地区のナロジチ市とバザール村で,子供病院,老人,病人,たくさんの子供を抱えた家庭を助けている.この慈善基金の人道援助のなかには,食料,ジュースなどを購入し,貧しい子供や乳幼児(子供の家に住む0歳から12歳までの孤児)に与えることも含まれている.また,医薬品,注射器,靴,本,おもちゃ,キャンディー,ビスケット,カラーテレビなどを配ることもある.
この基金は,「非汚染地域」に新しく子供の家を造り,「汚染」地域であるクリンツィ市から,子供の家を移転させるようにモスクワ市長Yu・.M・ルシコフに申し入れた.新しい子供の家の用地が見つかり,土木工事のデータがそろい,家の設計図面も引かれた.しかし,チェチェンでの戦争が始まったために,すべての作業は中断してしまった.
基金は,その能力が許すかぎり,汚染地域からの子供を治療しているジトーミル子供病院を支援している.また,汚染地域に住む低所得者の子供たちの心臓手術代を工面し,さらにウクライナ・ジトーミル州の汚染地域の老人や疾病障害者に一時金の支給をしてきた.
また,基金には奨学金制度があり,高等教育機関に在籍しているジトーミル州の優秀な学生に対し支援を行なっている.
加えて,基金の出版部では,環境保問題あるいは原子力に反対する本を編集,出版している(チェルノブイリ事故被災者には無料で配布).そして,その利益のすべてはチェルノブイリ事故被災者の救援のためだけに使われる.基金のスタッフは,さまざまな国際会議や,「緑」やその他の組織のフェスティバルに招待されたり,また「国際法廷」のメンバーに選ばれたりしている.基金は,さまざまな国際的あるいは国内的な「緑」の組織,「緑」の報道の参加者に対して特別な賞をもうけている.
基金は,西側諸国や日本に信頼できる仲間を持っている.和田あき子(東京)と日下郁夫(石巻)を代表とする組織との連携は特別に親密なものである.近年,彼らと彼らの組織は,ジトーミル州の老人に対して,またわれわれの基金が運営している2つの子供の家に対して,基金を通じてたびたび有意義な援助をしてくれた.また基金は,日本の京都大学原子炉実験所の研究者,今中哲二,小出裕章,小林圭二らと密接な共同作業を行なっている.彼らは,基金が出版した世界初の「核百科事典」の共著者でもある.
「チェルノブイリ」に関する非政府組織のうちでも,汚染地域に住み生きるために闘っている被災者が加わっている組織,あるいは事故処理作業に従事し,その結果障害をうけた人々の非政府組織について述べておきたい.ここでは,「モスクワ大学チェルノブイリ協会」および「モスクワ大学チェルノブイリ障害者協会」について紹介しておく.これらの組織は,それぞれ1991年と1994年に公式に登録され,今日ますます精力的な活動を続けている.
モスクワ大学チェルノブイリ障害者協会の主要な目的と仕事は,チェルノブイリ事故被災者あるいはその他の放射線被曝者に対する,社会・心理学的,情報関連,法律的,医学的な援助と物質的な支援である.すなわち,子供,女性,障害者,死亡した人の家族などに対する物質的,医学的,社会的援助;外国での医療を含め,子供,女性,疾病障害者に対する治療と旅行費用の工面;新しい事業をおこすことによる,協会メンバーへの職場の提供;(国際的な協力に基づく)チェルノブイリ原発事故被災地の復旧活動;チェルノブイリ原発事故影響に関するさまざまな観点(社会心理学的,法的,医学的,経済的,生態学的)からの科学的研究への資金援助,などなどである.
協会が支援してきたこれらの研究はなかなか興味深いものである.1991年以来,彼らは,チェルノブイリ原発事故影響に直接あるいは間接にかかわる約20の課題について研究を行なってきた.それらの課題のいくつかを以下に記す.「放射能で汚れた森林に生育する植物中の放射性核種の量」,「汚染地域住民の健康状態に対する,新しい医学・生物学的生活基準の影響」,「航空機乗務員とチェルノブイリ原発事故処理作業者に対する免疫学的試験の応用」,「ストレス要因への抵抗力強化手法の開発」(「チェルノブイリの子供たち」計画の一環).
また,モスクワ大学チェルノブイリ障害者協会は,モスクワ市当局によって認められた「チェルノブイリ事故による被災者と疾病障害者の社会的救済のための1997年プログラム」にも参加している.
モスクワ大学チェルノブイリ障害者協会が最近始めた取り組みの1つに,被災地からモスクワにきたものの,高等専門機関に入るうえで困難を抱えている子供たちへの教育支援がある.“チェルノブイリ人”の子供500人を支援する計画が進んでいる.
チェルノブイリ事故被災者救援をめざした大衆組織の問題を考えるに当たって,避けて通ることのできない問題がある.チェルノブイリ事故後,真相の報道を妨害し,また汚染地域住民の状態に関してたびたび嘘の情報を流してきた組織や人々がいる.そうした組織や人々が,グラスノスチの大改革の後,チェルノブイリ被災者救援組織を作り,自分たちこそ被災者の本当の友人だといいはじめている.
そうした皮肉なケースがジトーミルで起こった.筆者は1987年当時「ラジャンスカ・ジトーミル」新聞の記者をしていたが,その新聞の編集者D・パンチュークは,私がジトーミル州ナロジチ地区の被災地域を訪ねることを許さなかった.でも,私はそれらの村を訪ね,真実を伝える記事を書いた.編集者はそれを掲載しなかった.その代わり,別の記者による,被災地ではすべてがうまくいっている,という嘘の記事が掲載された.ところが,チェルノブイリ問題を取り上げることが危険でなくなってから,D・パンチュークは彼の同類と一緒になって,ジャーナリストの地方組織のなかにチェルノブイリ被災者救援のための基金を設立した.驚いたことに,こんないんちき基金が日本と関係を持つようになったのである.彼らの真の姿を知らずに接触を持った日本の人たちは,人道的な目的(そのことは本当にありがたいことだが…)をもって,ジトーミルにやってきた.そして,被災地の真相を隠蔽せよという共産党の決定を躊躇することなく履行し,仲間であるべき住民のストレス,病気,そして死に対してまさに罪のある人々と会ったのであった.チェルノブイリを秘密にすることに荷担した人々が日本に招待され,彼らがいかに勇敢にチェルノブイリの真実を伝えたかを日本の人たちに語り,そして新聞のインタビューに応じた.これ以上皮肉な例は想像することができない.私はこのことを,全ソ連とウクライナの新聞で2度にわたって記事にしなければならなかった.
しかし,ジトーミルでの出来事は決して例外ではない.チェルノブイリの真相を隠してきた人々が,大衆組織のレベルで真実の擁護者に転身したり,独立した国家において高い地位についている例は他にもたくさんある.
参考文献
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12. Blue Pages. Moscow. 1997.
ロシアの国内あるいは国際チェルノブイリ被災者救援非政府大衆組織リスト
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2. チェルノブイリの子供たち:"Children of Chernobyl" ? division of the Belorussian Committee. Moscow.
3. チェルノブイリ事故被災者協会:Public Association of Persons Affected as a Result of the Catastrophe at the Chernobyl NPS. Moscow.
4. チェルノブイリ事故被災者救済国際基金:Division of the International Foundation for Assistance to Victims of Chernobyl. Moscow.
5. 虹21:"Raduga-XXI" ? division of the international non-government humanitarian organisation "Foundation "Chernobyl - help" of North America. Moscow.
6. チェルノブイリ救済医療基金:Foundation "Social Protection and Medical Provision of the Chernobylers". Moscow.
7. スペック・チェルノブイリ:"Spec.Chernobyl" Foundation. Moscow.
8. チェルノブイリ障害者,孤児,難民支援療養基金:Foundation of assistance and rehabilitation of invalids, orphans, refugees and victims of Chernobyl. Moscow
9. チェルノビラー:"Chernobyler" ? social protection foundation. Moscow.
10. ロシアチェルノブイリ同盟:Union "Chernobyl" of Russia. Moscow, with divisions over the country.
11. チェルノブイリ:"Chernobyl" ? association of the Union. Moscow.
12. チェルノブイリ・ヘルプ:"Chernobyl-Help" ? the international humanitarian organisation. Moscow.
13. チェルノブイリ・チェルノブイリの子供たち:"Chernobyl, Children of Chernobyl" ? division of the international association. Ul'yanovsk.
14. チェルノブイリ労働者同盟:"Union of Chernobyl Workers" ? Russian association. Voronezh region, settlement Ramon.
15. チェルノブイリ・アトム:"Chernobyl-Atom" ? international association of unions. Moscow.
16. チェルノブイリ・病院:"Chernobyl-Hospital" ? foundation. Moscow.
17. チェルノブイリ・希望:"Chernobyl-Hope" ? foundation for assistance to invalids, injured, ill, overirradiated as a result of Chernobyl catastrophe. Moscow.
18. チェルノブイリ安全基金:Chernobyl Safety Foundation. Moscow.
19. チェルノブイリ・エネルギー盾:"Chernobylenergozaschita" ? association for social protection of citizens who took part in liquidation of the consequences of the accident at the Chernobyl NPS. Moscow.
20. チェルノブイリ・ミッション:Chernobyl Mission" ? public organisation. Moscow.
21. チェルノブイリ・シベリア支部:Operative department at the Siberia regional division "Chernobyl". Novosibirsk.
22. チェルノブイリ:"Chernobyl" ? public association of invalids of war and Chernobyl. Moscow.
23. ヤロシンスカヤ・チャリティ基金:Private Charity Foundation of Yaroshinskaya (assistance to people affected by the accident at the ChNPS). Moscow.
24. チェルノブイリ協会:Association "Chernobyl ? Moscow State University"
25. 国立モスクワ大学チェルノブイリ疾病障害者協会:The Moscow State University Scientific Association of Chernobyl Invalids. Moscow.
引用ここまで
原文は、『チェルノブイリによる放射能災害 国際共同研究報告書』の中の
【被災者救援活動の諸問題とロシアの現状】
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/J-Version.html
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Yr96B-J.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット 」
の参考記事にさせていただきました。
ヤブロコフ・ネステレンコ報告
引用ここから
ロシア科学アカデミー会員ヤブロフ博士と白ロシア放射線安全研究所の2名のネステレンコ博士が膨大なスラブ語の文献を整理して 「チェルノブイリ事故が住民にと環境に与えた結果」というタイトルの報告書を書いた。この報告書を英訳し、編集したconsulting editor: Janette D. Sherman-Nevingerをニューヨーク州立大学のジャーナリズム科教授Karl Grossmanがインタビューしてビデオを製作し、自ら経営するenvirovideo.comで公開している。友人のNHKのディレクターであった小笠原君がこれみたかと聞いてきた。
早速編集者へのグロスマンのインタビュービデオを観て、目の前でいままで積み上げた積み木がガラガラと崩れ落ちるような気持ちになった。福島関連の情報を集めて、データもそろい、作表、作図もでき、一気に原発本「原子力村が発明した10のウソを越えて」を書き下ろそうと思っていたのに。これでは完全に前提がくずれてしまった。いままでチェルノブイリの実態がこれほどまでに ひどいとは知られていなかった、あるいは故意に秘匿されていたとはどういうことなのか。
私のシナリオは既設原発は今世紀かけて徐々にゆっくり停止するというものであったが、これでは世界中の原発は全ての国で一斉に出来るだけ速やかに(といっても代替エネルギーシステム構築に20年くらい必要だろうけれど)全て停止しなければならないということになる。したがって私の作成したエネルギー転換シナリオももっと前倒しにして計算しなおさねばならない。ドイツと同じペースにしなければならないということになる。世界中がそうするとこれは石油やガスは天井に張りつく。経済はスローダウン。温暖化問題など吹っ飛んでしまうのではないかとも思う。中国やインドは当然反発して原発を強行、世界が迷惑だと圧力をかけるようになるかも。いずれにせよとんでもないこと。
たしかにチェルノブイリの写真家広河隆一が著した1995年刊岩波ジュニア新書251『チェルノブイリから広島へ』で放射線影響研究所長重松逸造の加害者寄りの判定をしたのはけしからんと沢山の証拠写真を見せて告発している。この重松逸造が1990年から91年にかけて、国連のIAEA(国際原子力機関)が国際諮問委員会(IAC)に委託したチェルノブイリ事故の被害の調査委員長をつとめ、その結果を91年5月に発表した。この発表はチェルノブイリ事故の後遺症は終わったのだという印象を世界に与えたがじつは都合の悪いところは故意に調査していないというものであった。
早速、全文報告書と要旨をダウンロードした。全ページを速読したが、ロシア語の膨大な文献をまとめて、統計図表が明晰に事実を証明している。一旦これをよめばだれでも完全に納得するだろう。この本は2009年にニューヨークの科学アカデミーの紀要として発刊されたものだ。だからいわゆる政治的意図を含む文書ではないと明記してある。あくまでもまじめな学術書なのである。日本の学者も当局も何も勉強していない。重松逸造の政府に都合の良い政治的目的をもった報告書を引用しているだけだ。
いずれにせよすごい情報。感謝!!!
以下超概略で紹介しよう。詳細は原典をよんでください。
ヤブロコフ・ネステレンコ報告
汚染強度
4,000Bq/m2 (0.11Ci/km2)以上の汚染地域に4ヶ月住んでいた人数は4億人。いまだに1,500万人がセシウム137汚染が40,000Bq/m2(1.08Ci/km2)以上の地域に住んでいる。
疾病率(morbility)、障害(impairment and disability)
白ロシアでは1985年には健康な子供は90%であったが、2000年には20%に低下
白ロシアでは1986ー1994年の時期に新生児の死亡率は9.5%が205%に上昇。白ロシアでは1986ー1994年の時期に新生児の死亡率は9.5%に上昇。ゴメル地方で死亡率最大205%という数値は早産が増えたためと1996年にジーコビッチによって報告されている。注)死亡率が100%を超える理由はその定義が((早産の死体数)+(生きて生まれたが、その後放射線障害で死亡した数)) / (生きて生まれたが、その後放射線障害で死亡した数)のため ←元サイトの追記を発見したので追加しました。(『ひなげしアーカイブ』管理人Coco 2011/11/08)
事故の後始末に働いた若者は5年後に30%は病気になった。10年後には健康な若者は9%以下
ウェールズのホットスポットでは1986-1987年の新生児の体重が1.5kg以下に低下した
加齢の加速
白ロシアでは幼児の消化管上皮の老化
ウクライナ寿命が7-9年短くなる
事故の後始末に働いた若者は同年より10-15年早く病気になり寿命は5-15年短くなる
事故の後始末に働いた男子の81%、女子の77%は心臓病になった
循環器系の疾病
白ロシアでは避難者の血液とリンパ系疾病は事故後9年ではその前より3.8倍増えた。汚染地域に住民は他の地域の住民に比べ2.4倍になった
ウクライナでは事故後12年間は循環器系の病気が11-15倍に増えた
ロシアのブリヤンスク県では事故後10年間に渡り、子供の白血球数が極端に低くなった
白ロシアの新生児の赤斑が事故後2倍になった
事故処理労働者の致命的心筋疾患が一般人の平均の2.5%から22.1%に増加
遺伝子損傷
電離性放射線は遺伝子を損傷する。この損傷遺伝子は数世代に渡って残るであろう。汚染地帯では染色体異常が沢山観察された
チェルノブイリの遺伝子に与えた影響は放射線強が広島や長崎の数1,000倍以上であったのでこれを多量にあびた第一世代への影響が大きかった
事故直後の半減期の短い放射性物質にさらされた人、バックグランドと同じレベルに下がるのに300年を要するストロンチウム90、セシウム137と共存して生きる人、プルトニウム、アメリシウム汚染地域に住む人、およびその子供達は7世代にわたって影響が残るであろう
ノルウェーでは染色体異常10倍になっているのが56人の成人で観察された
スコットランドで21番染色体が1本余分に存在するトリソミー症(ダウン症)が2倍
セシウム137が3Ci/km2(111,000Bq/m2)のロシアのチェルノブイリ近辺で染色体異常が2-4倍になった
オーストリアで17名の成人の染色体異常が4-6倍になった
白ロシアで1987-1988年にかけてダウン症が49%増え、その他の国でも1987-1994年にかけ17%増
放射線をあびた両親の子や白ロシア、ウクライナに住んでいた子供のサテライトDNAの突然変異が2倍
白ロシアで事故後6年時点でウクライナにおいて放射線を浴びた父をもつ子の先天性発達異常は他の地区の1万人当たり960-1200人に比し、1,135-1,376人と増え た。脾臓、副甲状腺、甲状腺、副腎皮質、卵巣、睾丸などの内分泌線の疾病は3倍になった
内分泌系
ウクライナでは1988-1999年にかけ、内分泌線の疾病が8倍になった
白ロシアで1987年、事故の後始末に働いた人の子の免疫細胞に重大な変化が見られた
ウクライナの汚染地域では免疫細胞と体液が大きく損なわれた
ロシアの汚染地域に住む子供達に抗酸化と交感神経系の機能不全が見られた
呼吸器系
一般人、事故の後始末に働いた人の区別無く、10-15年後に免疫力の低下にとともに鼻咽頭および気管支疾患が増える。汚染が15-40Ci/km2に居住していた子供は3年後に3.5倍。汚染地帯に住んだ女性から生まれた新生児の非感染性の呼吸器系障害は9.6倍。事故の後始末に働いた人の慢性肺疾患は事故後15年間に10倍になった
泌尿器系
放射線はホルモンのバランスが崩れるために腎臓、膀胱、尿路、卵巣、精巣が影響を受ける。2000年までのデータでは生殖器の不全は女子で5倍、男子で3 倍になる。1981-1995年間に白ロシアでは子宮内膜症が2.5倍になった。不妊症は1986年に比べ1991年には5.5倍。このうち精子異常は 6.6倍であった。1988-1999年に泌尿器生殖器疾患は2倍となった。54.1%の妊婦に癇前症、貧血、胎盤の破壊と多量失血が見られた。事故の後始末に働いた人は1988-2003年の間、泌尿器生殖器疾患が10倍となった。
骨格・筋肉系
ホルモンバランスのずれ、または破骨細胞と造骨細胞が放射線で死ぬことにより骨粗鬆が増える。歯がだめになることにより健康障害が発生する。慢性の筋肉痛は正常な生活を阻害する。骨筋系の欠陥は特に子供の発育と活動の障害となる。ウクライナの事故の後始末に働いた人の筋肉と腱の障害は1991-2001年にかけ2.3倍となった。ウクライナでは胎盤のセシウム137が0.9-3.25Bq/kgだった子供に中空骨や脊椎軟骨の損傷がみられた。ロシアでは事故の後始末に働いた人の30-88%に骨粗鬆
神経系
低放射線レベルでも神経系への影響は大きい。高度神経系においても視覚神経系においても神経精神病理学的不調においても同様である。脳は放射線に対し敏感であることの証拠が増えている。中央ならびに自律神経系を変えて脳障害を引き起こす。高度汚染地域では低度汚染地域に比べ幻覚・幻聴がより頻繁に経験される:白内障、ガラス体の変質、焦点調整不能、紫外線脆弱性、結膜炎
消化系
事故の後始末に働いた人には消化器官の疾病が増え、汚染地域で生まれた赤ん坊の先天的消化システムの機能不全が見られた。低放射線の影響は変わっていて胃腸器官上皮の機能は子宮内にいる期間だけでなく影響を受ける。事故の後始末に働いたロシア人の消化器官疾病は9年間に渡り7.4倍になった。白ロシアでセシウム135が検出された若い避難者の40%は胃腸器官疾病患者であった。ウクライナの5-15kBq/m2レベルの汚染地域の人々と、管理グループを比較すると、胃の粘膜の退化が5倍、腸の変質が2倍であった
皮膚
汚染地帯では事故直後、皮膚と皮下組織の病気が増えた。原因としては外部からの放射線に加え、内蔵疾患の影響が考えられる。1988-1990年において皮膚疾患は4倍になった。ロシアの汚染地域の子供とティーンエイジ世代の60%で皮膚疾患がみられた。事故の後始末に働いた人で乾癬を発症した人の97% は神経系と胃腸に問題を抱えていた
感染症
放射線は寄生虫など我々の共生生物たる微生物相、動物相に働きかけて生物共同体を変えてしまう。汚染地域では食中毒、胃腸炎、敗血症、ビールス性肝炎、呼吸器系ビールスが増える証拠がある。
病原菌が強くなったのか人間が弱くなったのか、両方なのかはいまだ不明である
先天性奇形(CM)
汚染地帯では子供の遺伝的異常、先天性奇形が増える。手足、頭、身体の損傷を含む。先天性奇形はいまだ増えつつあり、その程度は汚染度に比例することは仮説ではなく、事実である
腫瘍
1986-2056年のガン患者は9,000-28,000人とするWHO予測は過小評価である。I-131とCs137だけでもヨーロッパで 212,000-245,000人、その他世界で19,000人であろう。高濃度Te-13、Ru-103、Ru-106、Cs-134と長期にわたる Cs137、Sr-90、Pu、Amは数百年の影響をのこすであろう
死亡率
1990-2004年のウクライナ、ロシア、白ロシアの死亡者21.2万はチェルノブイリ事故が原因で全死者の4%
事故の後始末に働いた若者の総数83万人の15%の11.2-12.5万人は2005年を迎えることなく死亡
ヨーロッパの数億人の住民のうち、数十万人がチェルノブイリが原因ですでに死亡し、これからも増え続ける
ドイツのババリア州では1987年の死産率は45%増えた
デンマーク、ドイツ、ハンガリー、ノルウェー、ポーランド、ラトビア、スエーデン男女比逆転、死産が増えた
英国では事故後10ヶ月間は妊娠後期の胎児死亡率が増えた
スエーデンでは事故直後と1989-1992年の幼児死亡率が増加
ロシアの事故の後始末に働いた若者で事故後12年以内に死亡した人の87%は30-39才であった
セシウム137の汚染強度が555kBq/m2(15Ci/km2)以上の地域住民の平均寿命は8年短縮された
1999年のウクライナの汚染地域の死亡率は1,000人当たり18.3人で他の地域の14.8人より28%高くなる
1994-2004年のロシアの汚染地域のブリヤンスク県の死亡率は22.5%増えた。特に45-49才でみると87%増
環境への影響
影響は人間だけでない。哺乳類、渡鳥、昆虫、森林、農作物がダメージを受けている
放射線は植物の形態異常、腫瘍を生じる
動物相も放射線で影響を受ける。これは人間と大差ない
ミツバチは完全に居なくなった
微生物相はあまり研究されていないが放射線を受けての変化は急速である
食料の汚染が最大の問題
引用ここまで
原文は、Seven Mile Beach File 読書録 の中の
1083【Chernobyl:Consequences of the Catastrophe for People and the Environment】
http://www.asahi-net.or.jp/~pu4i-aok/core/indexj.html
http://www.asahi-net.or.jp/~pu4i-aok/core/bookdata/1000/b1083.htm
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の
「やっぱり出し惜しみの汚染マップ 2」
「ホットスポット 」
などの参考記事にさせていただきました。
読書録
| シリアル番号 | 1083 |
| 書名 | Chernobyl:Consequences of the Catastrophe for People and the Environment |
| 著者 | Alexey V.YABLOKOV, Vassily B. NESTERENKO, Alexey V. NESTERENKO |
| 出版社 | ANNALS OF THE NEW YORK ACADEMIY OF SCIENCES |
| ジャンル | サイエンス |
| 発行日 | 2009 |
| 購入日 | 2011/06/12 |
| 評価 | 優 |
ロシア科学アカデミー会員ヤブロフ博士と白ロシア放射線安全研究所の2名のネステレンコ博士が膨大なスラブ語の文献を整理して 「チェルノブイリ事故が住民にと環境に与えた結果」というタイトルの報告書を書いた。この報告書を英訳し、編集したconsulting editor: Janette D. Sherman-Nevingerをニューヨーク州立大学のジャーナリズム科教授Karl Grossmanがインタビューしてビデオを製作し、自ら経営するenvirovideo.comで公開している。友人のNHKのディレクターであった小笠原君がこれみたかと聞いてきた。
早速編集者へのグロスマンのインタビュービデオを観て、目の前でいままで積み上げた積み木がガラガラと崩れ落ちるような気持ちになった。福島関連の情報を集めて、データもそろい、作表、作図もでき、一気に原発本「原子力村が発明した10のウソを越えて」を書き下ろそうと思っていたのに。これでは完全に前提がくずれてしまった。いままでチェルノブイリの実態がこれほどまでに ひどいとは知られていなかった、あるいは故意に秘匿されていたとはどういうことなのか。
私のシナリオは既設原発は今世紀かけて徐々にゆっくり停止するというものであったが、これでは世界中の原発は全ての国で一斉に出来るだけ速やかに(といっても代替エネルギーシステム構築に20年くらい必要だろうけれど)全て停止しなければならないということになる。したがって私の作成したエネルギー転換シナリオももっと前倒しにして計算しなおさねばならない。ドイツと同じペースにしなければならないということになる。世界中がそうするとこれは石油やガスは天井に張りつく。経済はスローダウン。温暖化問題など吹っ飛んでしまうのではないかとも思う。中国やインドは当然反発して原発を強行、世界が迷惑だと圧力をかけるようになるかも。いずれにせよとんでもないこと。
たしかにチェルノブイリの写真家広河隆一が著した1995年刊岩波ジュニア新書251『チェルノブイリから広島へ』で放射線影響研究所長重松逸造の加害者寄りの判定をしたのはけしからんと沢山の証拠写真を見せて告発している。この重松逸造が1990年から91年にかけて、国連のIAEA(国際原子力機関)が国際諮問委員会(IAC)に委託したチェルノブイリ事故の被害の調査委員長をつとめ、その結果を91年5月に発表した。この発表はチェルノブイリ事故の後遺症は終わったのだという印象を世界に与えたがじつは都合の悪いところは故意に調査していないというものであった。
早速、全文報告書と要旨をダウンロードした。全ページを速読したが、ロシア語の膨大な文献をまとめて、統計図表が明晰に事実を証明している。一旦これをよめばだれでも完全に納得するだろう。この本は2009年にニューヨークの科学アカデミーの紀要として発刊されたものだ。だからいわゆる政治的意図を含む文書ではないと明記してある。あくまでもまじめな学術書なのである。日本の学者も当局も何も勉強していない。重松逸造の政府に都合の良い政治的目的をもった報告書を引用しているだけだ。
いずれにせよすごい情報。感謝!!!
以下超概略で紹介しよう。詳細は原典をよんでください。
-------------------------------------------------------------------------
ヤブロコフ・ネステレンコ報告
汚染強度
4,000Bq/m2 (0.11Ci/km2)以上の汚染地域に4ヶ月住んでいた人数は4億人。いまだに1,500万人がセシウム137汚染が40,000Bq/m2(1.08Ci/km2)以上の地域に住んでいる。
| チェルノブイリ | Ci/km2 | Bq/m2 | mSv/y | microSv/h |
| 強制避難区域 直ちに強制避難、立ち入り禁止 | 40.0 | 1,480,000 | 134.9 | 15.40 |
| 一時移住区域 義務的移住区域 | 15.0 | 555,000 | 50.6 | 5.78 |
| 希望移住区域 移住の権利が認められる | 5.0 | 185,000 | 16.9 | 1.93 |
| 放射線管理区域(15,000,000人居住) | 1.0 | 37,000 | 3.4 | 0.39 |
| ヨーロッパ(4億人居住) | 0.1 | 4,070 | 0.4 | 0.04 |
疾病率(morbility)、障害(impairment and disability)
白ロシアでは1985年には健康な子供は90%であったが、2000年には20%に低下
白ロシアでは1986ー1994年の時期に新生児の死亡率は9.5%が205%に上昇。白ロシアでは1986ー1994年の時期に新生児の死亡率は9.5%に上昇。ゴメル地方で死亡率最大205%という数値は早産が増えたためと1996年にジーコビッチによって報告されている。注)死亡率が100%を超える理由はその定義が((早産の死体数)+(生きて生まれたが、その後放射線障害で死亡した数)) / (生きて生まれたが、その後放射線障害で死亡した数)のため ←元サイトの追記を発見したので追加しました。(『ひなげしアーカイブ』管理人Coco 2011/11/08)
事故の後始末に働いた若者は5年後に30%は病気になった。10年後には健康な若者は9%以下
ウェールズのホットスポットでは1986-1987年の新生児の体重が1.5kg以下に低下した
加齢の加速
白ロシアでは幼児の消化管上皮の老化
ウクライナ寿命が7-9年短くなる
事故の後始末に働いた若者は同年より10-15年早く病気になり寿命は5-15年短くなる
事故の後始末に働いた男子の81%、女子の77%は心臓病になった
循環器系の疾病
白ロシアでは避難者の血液とリンパ系疾病は事故後9年ではその前より3.8倍増えた。汚染地域に住民は他の地域の住民に比べ2.4倍になった
ウクライナでは事故後12年間は循環器系の病気が11-15倍に増えた
ロシアのブリヤンスク県では事故後10年間に渡り、子供の白血球数が極端に低くなった
白ロシアの新生児の赤斑が事故後2倍になった
事故処理労働者の致命的心筋疾患が一般人の平均の2.5%から22.1%に増加
遺伝子損傷
電離性放射線は遺伝子を損傷する。この損傷遺伝子は数世代に渡って残るであろう。汚染地帯では染色体異常が沢山観察された
チェルノブイリの遺伝子に与えた影響は放射線強が広島や長崎の数1,000倍以上であったのでこれを多量にあびた第一世代への影響が大きかった
事故直後の半減期の短い放射性物質にさらされた人、バックグランドと同じレベルに下がるのに300年を要するストロンチウム90、セシウム137と共存して生きる人、プルトニウム、アメリシウム汚染地域に住む人、およびその子供達は7世代にわたって影響が残るであろう
ノルウェーでは染色体異常10倍になっているのが56人の成人で観察された
スコットランドで21番染色体が1本余分に存在するトリソミー症(ダウン症)が2倍
セシウム137が3Ci/km2(111,000Bq/m2)のロシアのチェルノブイリ近辺で染色体異常が2-4倍になった
オーストリアで17名の成人の染色体異常が4-6倍になった
白ロシアで1987-1988年にかけてダウン症が49%増え、その他の国でも1987-1994年にかけ17%増
放射線をあびた両親の子や白ロシア、ウクライナに住んでいた子供のサテライトDNAの突然変異が2倍
白ロシアで事故後6年時点でウクライナにおいて放射線を浴びた父をもつ子の先天性発達異常は他の地区の1万人当たり960-1200人に比し、1,135-1,376人と増え た。脾臓、副甲状腺、甲状腺、副腎皮質、卵巣、睾丸などの内分泌線の疾病は3倍になった
内分泌系
ウクライナでは1988-1999年にかけ、内分泌線の疾病が8倍になった
白ロシアで1987年、事故の後始末に働いた人の子の免疫細胞に重大な変化が見られた
ウクライナの汚染地域では免疫細胞と体液が大きく損なわれた
ロシアの汚染地域に住む子供達に抗酸化と交感神経系の機能不全が見られた
呼吸器系
一般人、事故の後始末に働いた人の区別無く、10-15年後に免疫力の低下にとともに鼻咽頭および気管支疾患が増える。汚染が15-40Ci/km2に居住していた子供は3年後に3.5倍。汚染地帯に住んだ女性から生まれた新生児の非感染性の呼吸器系障害は9.6倍。事故の後始末に働いた人の慢性肺疾患は事故後15年間に10倍になった
泌尿器系
放射線はホルモンのバランスが崩れるために腎臓、膀胱、尿路、卵巣、精巣が影響を受ける。2000年までのデータでは生殖器の不全は女子で5倍、男子で3 倍になる。1981-1995年間に白ロシアでは子宮内膜症が2.5倍になった。不妊症は1986年に比べ1991年には5.5倍。このうち精子異常は 6.6倍であった。1988-1999年に泌尿器生殖器疾患は2倍となった。54.1%の妊婦に癇前症、貧血、胎盤の破壊と多量失血が見られた。事故の後始末に働いた人は1988-2003年の間、泌尿器生殖器疾患が10倍となった。
骨格・筋肉系
ホルモンバランスのずれ、または破骨細胞と造骨細胞が放射線で死ぬことにより骨粗鬆が増える。歯がだめになることにより健康障害が発生する。慢性の筋肉痛は正常な生活を阻害する。骨筋系の欠陥は特に子供の発育と活動の障害となる。ウクライナの事故の後始末に働いた人の筋肉と腱の障害は1991-2001年にかけ2.3倍となった。ウクライナでは胎盤のセシウム137が0.9-3.25Bq/kgだった子供に中空骨や脊椎軟骨の損傷がみられた。ロシアでは事故の後始末に働いた人の30-88%に骨粗鬆
神経系
低放射線レベルでも神経系への影響は大きい。高度神経系においても視覚神経系においても神経精神病理学的不調においても同様である。脳は放射線に対し敏感であることの証拠が増えている。中央ならびに自律神経系を変えて脳障害を引き起こす。高度汚染地域では低度汚染地域に比べ幻覚・幻聴がより頻繁に経験される:白内障、ガラス体の変質、焦点調整不能、紫外線脆弱性、結膜炎
消化系
事故の後始末に働いた人には消化器官の疾病が増え、汚染地域で生まれた赤ん坊の先天的消化システムの機能不全が見られた。低放射線の影響は変わっていて胃腸器官上皮の機能は子宮内にいる期間だけでなく影響を受ける。事故の後始末に働いたロシア人の消化器官疾病は9年間に渡り7.4倍になった。白ロシアでセシウム135が検出された若い避難者の40%は胃腸器官疾病患者であった。ウクライナの5-15kBq/m2レベルの汚染地域の人々と、管理グループを比較すると、胃の粘膜の退化が5倍、腸の変質が2倍であった
皮膚
汚染地帯では事故直後、皮膚と皮下組織の病気が増えた。原因としては外部からの放射線に加え、内蔵疾患の影響が考えられる。1988-1990年において皮膚疾患は4倍になった。ロシアの汚染地域の子供とティーンエイジ世代の60%で皮膚疾患がみられた。事故の後始末に働いた人で乾癬を発症した人の97% は神経系と胃腸に問題を抱えていた
感染症
放射線は寄生虫など我々の共生生物たる微生物相、動物相に働きかけて生物共同体を変えてしまう。汚染地域では食中毒、胃腸炎、敗血症、ビールス性肝炎、呼吸器系ビールスが増える証拠がある。
病原菌が強くなったのか人間が弱くなったのか、両方なのかはいまだ不明である
先天性奇形(CM)
汚染地帯では子供の遺伝的異常、先天性奇形が増える。手足、頭、身体の損傷を含む。先天性奇形はいまだ増えつつあり、その程度は汚染度に比例することは仮説ではなく、事実である
腫瘍
1986-2056年のガン患者は9,000-28,000人とするWHO予測は過小評価である。I-131とCs137だけでもヨーロッパで 212,000-245,000人、その他世界で19,000人であろう。高濃度Te-13、Ru-103、Ru-106、Cs-134と長期にわたる Cs137、Sr-90、Pu、Amは数百年の影響をのこすであろう
死亡率
1990-2004年のウクライナ、ロシア、白ロシアの死亡者21.2万はチェルノブイリ事故が原因で全死者の4%
事故の後始末に働いた若者の総数83万人の15%の11.2-12.5万人は2005年を迎えることなく死亡
ヨーロッパの数億人の住民のうち、数十万人がチェルノブイリが原因ですでに死亡し、これからも増え続ける
ドイツのババリア州では1987年の死産率は45%増えた
デンマーク、ドイツ、ハンガリー、ノルウェー、ポーランド、ラトビア、スエーデン男女比逆転、死産が増えた
英国では事故後10ヶ月間は妊娠後期の胎児死亡率が増えた
スエーデンでは事故直後と1989-1992年の幼児死亡率が増加
ロシアの事故の後始末に働いた若者で事故後12年以内に死亡した人の87%は30-39才であった
セシウム137の汚染強度が555kBq/m2(15Ci/km2)以上の地域住民の平均寿命は8年短縮された
1999年のウクライナの汚染地域の死亡率は1,000人当たり18.3人で他の地域の14.8人より28%高くなる
1994-2004年のロシアの汚染地域のブリヤンスク県の死亡率は22.5%増えた。特に45-49才でみると87%増
| 地域 | 1990-2004年の死者数 |
| ヨーロッパロシア | 67,000 |
| 白ロシア | 59,000 |
| ウクライナ | 86,000 |
| 小計 | 212,000 |
| >15Ci/km2(40Bq/m2) or 50mSv/yで転居して統計外 | 25,500 |
| 統計外合計 | 237,500 |
| ソビエト外ヨーロッパ>1.08Ci/km2(40Bq/m2) or 3.4mSv/y | 170,000 |
| ソビエト外ヨーロッパ<1.08Ci/km2(40Bq/m2) or 3.4mSv/y | 255,000 |
| ヨーロッパ外全世界 | 323,000 |
| 全世界合計 | 985,000 |
環境への影響
影響は人間だけでない。哺乳類、渡鳥、昆虫、森林、農作物がダメージを受けている
放射線は植物の形態異常、腫瘍を生じる
動物相も放射線で影響を受ける。これは人間と大差ない
ミツバチは完全に居なくなった
微生物相はあまり研究されていないが放射線を受けての変化は急速である
食料の汚染が最大の問題
Rev. August 21, 2011
引用ここまで
原文は、Seven Mile Beach File 読書録 の中の
1083【Chernobyl:Consequences of the Catastrophe for People and the Environment】
http://www.asahi-net.or.jp/~pu4i-aok/core/indexj.html
http://www.asahi-net.or.jp/~pu4i-aok/core/bookdata/1000/b1083.htm
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の
「やっぱり出し惜しみの汚染マップ 2」
「ホットスポット 」
などの参考記事にさせていただきました。
2011年9月23日金曜日
チェルノブイリ影響 1300キロ離れても健康被害
2011年6月17日金曜日
妊婦など住居単位 ホットスポット 避難促進
引用ここから
妊婦など住居単位 ホットスポット 避難促進
政府の原子力災害対策本部は十六日、福島第一原発周辺の警戒区域や計画的避難区域の外で、局地的に放射線量が高い場所(ホットスポット)を「特定避難勧奨地点」に指定すると発表した。対象は年間の積算放射線量が二〇ミリシーベルトを超えると推定される地点で、希望者には避難先の紹介などの支援をする。
これまで国や福島県が行ってきた大気中の放射線量調査結果によると、福島県南相馬市と伊達市の一部の計四地点で二〇ミリシーベルトを超えると推定される。地点数は、今後増える可能性がある。
指定までには、まずは文部科学省が各地点の中でさらに詳しく放射線量を調べ、二〇ミリシーベルトを超えそうな場合には、放射性物質の除去(除染)が可能かどうかを検討する。除染が難しいと判断すれば、自治体と協議の上、勧奨地点に指定する。両市での詳細調査は既に始めている。
勧奨地点は住居単位で指定する。住民には調査結果や放射線の影響、支援制度などを個別に情報提供し、避難を希望する人には避難先も紹介する。妊婦や子どもがいる世帯には、特に避難を呼び掛ける。注意を喚起して避難を促す点で、一律に避難を求める計画的避難区域とは異なる。
勧奨地点案は十六日に原子力安全委員会に報告され了承された。この仕組みに基づき避難する場合も、計画的避難区域と同様に福島第一原発事故が原因と考えられるため、賠償対象になる可能性が高い。具体的には事故の賠償範囲を決める政府の「原子力損害賠償紛争審査会」で審議される。
引用ここまで
原文は、東京新聞ニュースサイトの中の
「妊婦など住居単位 ホットスポット 避難促進」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011061702000040.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
妊婦など住居単位 ホットスポット 避難促進
2011年6月17日 朝刊
政府の原子力災害対策本部は十六日、福島第一原発周辺の警戒区域や計画的避難区域の外で、局地的に放射線量が高い場所(ホットスポット)を「特定避難勧奨地点」に指定すると発表した。対象は年間の積算放射線量が二〇ミリシーベルトを超えると推定される地点で、希望者には避難先の紹介などの支援をする。
これまで国や福島県が行ってきた大気中の放射線量調査結果によると、福島県南相馬市と伊達市の一部の計四地点で二〇ミリシーベルトを超えると推定される。地点数は、今後増える可能性がある。
指定までには、まずは文部科学省が各地点の中でさらに詳しく放射線量を調べ、二〇ミリシーベルトを超えそうな場合には、放射性物質の除去(除染)が可能かどうかを検討する。除染が難しいと判断すれば、自治体と協議の上、勧奨地点に指定する。両市での詳細調査は既に始めている。
勧奨地点は住居単位で指定する。住民には調査結果や放射線の影響、支援制度などを個別に情報提供し、避難を希望する人には避難先も紹介する。妊婦や子どもがいる世帯には、特に避難を呼び掛ける。注意を喚起して避難を促す点で、一律に避難を求める計画的避難区域とは異なる。
勧奨地点案は十六日に原子力安全委員会に報告され了承された。この仕組みに基づき避難する場合も、計画的避難区域と同様に福島第一原発事故が原因と考えられるため、賠償対象になる可能性が高い。具体的には事故の賠償範囲を決める政府の「原子力損害賠償紛争審査会」で審議される。
引用ここまで
原文は、東京新聞ニュースサイトの中の
「妊婦など住居単位 ホットスポット 避難促進」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011061702000040.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
ホットスポット4地点を指定、福島県南相馬と伊達、政府が避難を支援
引用ここから
ホットスポット4地点を指定、福島県南相馬と伊達、政府が避難を支援
2011.6.17 02:00
政府の原子力災害対策本部(本部長・菅直人首相)は16日、東京電力福島第1原発周辺の警戒区域、計画的避難区域の外の地域で、局地的に事故発生からの年間累積放射線量が20ミリシーベルト超が推定される地点(ホットスポット)について、住民避難を住居単位で支援、促進する「特定避難勧奨地点」に指定すると発表した。同日、原子力安全委員会(班目春樹委員長)に報告し、安全委は了承した。
これまでの調査では、福島県伊達市霊山(りょうぜん)町石田、同町上小国と、南相馬市原町区大原の3地域4地点が対象になる。
今後、モニタリングで年間被曝線量を調査。現地災害対策本部が県や関係市と協議して指定の可否を決める。指定地点の居住者にはモニタリング結果や活用できる支援措置などを説明、避難先を紹介した上で被災証明を発行する。
枝野幸男官房長官は16日の会見で「政府として一律に避難を指示したり、産業活動を規制したりすべき状況にはない」と述べ、特定避難勧奨地点に指定しても、基本的には避難を求めないとの考えを強調した。ただ、同地点で妊婦や子供が生活している世帯については避難を促すという。
ホットスポット 周辺に比べて局地的に数値が高い領域のこと。周辺より温度が高い場所という意味でそう呼ばれる。原発事故では、放出された放射性物質が周囲と比べて高濃度に降下、蓄積し、高い空間放射線量が検出される地点のことを指す。
引用ここまで
原文は、MSN産経ニュースサイトの中の
「ホットスポット4地点を指定、福島県南相馬と伊達、政府が避難を支援」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110617/plc11061702000002-n1.htm
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
ホットスポット4地点を指定、福島県南相馬と伊達、政府が避難を支援
2011.6.17 02:00
政府の原子力災害対策本部(本部長・菅直人首相)は16日、東京電力福島第1原発周辺の警戒区域、計画的避難区域の外の地域で、局地的に事故発生からの年間累積放射線量が20ミリシーベルト超が推定される地点(ホットスポット)について、住民避難を住居単位で支援、促進する「特定避難勧奨地点」に指定すると発表した。同日、原子力安全委員会(班目春樹委員長)に報告し、安全委は了承した。
これまでの調査では、福島県伊達市霊山(りょうぜん)町石田、同町上小国と、南相馬市原町区大原の3地域4地点が対象になる。
今後、モニタリングで年間被曝線量を調査。現地災害対策本部が県や関係市と協議して指定の可否を決める。指定地点の居住者にはモニタリング結果や活用できる支援措置などを説明、避難先を紹介した上で被災証明を発行する。
枝野幸男官房長官は16日の会見で「政府として一律に避難を指示したり、産業活動を規制したりすべき状況にはない」と述べ、特定避難勧奨地点に指定しても、基本的には避難を求めないとの考えを強調した。ただ、同地点で妊婦や子供が生活している世帯については避難を促すという。
ホットスポット 周辺に比べて局地的に数値が高い領域のこと。周辺より温度が高い場所という意味でそう呼ばれる。原発事故では、放出された放射性物質が周囲と比べて高濃度に降下、蓄積し、高い空間放射線量が検出される地点のことを指す。
引用ここまで
原文は、MSN産経ニュースサイトの中の
「ホットスポット4地点を指定、福島県南相馬と伊達、政府が避難を支援」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110617/plc11061702000002-n1.htm
です。
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『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
高放射線地点を指定、政府が避難支援へ 避難区域外でも
引用ここから
高放射線地点を指定、政府が避難支援へ 避難区域外でも
2011年6月17日1時3分
画像
福島県伊達市内の住宅地で放射線量を測定する調査員=11日、山本裕之撮影
画像地図
特定避難勧奨地点
福島県内の計画的避難区域の外で、局所的に年間の積算放射線量が20ミリシーベルトを超えそうな地点について、政府の原子力災害対策本部は16日、「特定避難勧奨地点」に指定して避難を支援していくことを決めた。妊婦や子どものいる家庭などには避難を促していく考えだ。
候補地は、南相馬市原町区の1地点、伊達市霊山(りょうぜん)町の3地点。文部科学省によると、4地点の来年3月11日までの推計積算線量は、20.0〜23.8ミリシーベルト。来週にも世帯単位で指定し、1地点あたり数十世帯規模になるという。
対象地点では、市町村を通じて放射線の影響や支援策などの情報を伝える。一律に避難指示や産業活動の規制はしない。
引用ここまで
原文は、朝日新聞ニュースサイトの中の
「高放射線地点を指定、政府が避難支援へ 避難区域外でも」
http://www.asahi.com/national/update/0616/TKY201106160566.html
です。
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『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
高放射線地点を指定、政府が避難支援へ 避難区域外でも
2011年6月17日1時3分
画像
福島県伊達市内の住宅地で放射線量を測定する調査員=11日、山本裕之撮影
画像地図
特定避難勧奨地点
福島県内の計画的避難区域の外で、局所的に年間の積算放射線量が20ミリシーベルトを超えそうな地点について、政府の原子力災害対策本部は16日、「特定避難勧奨地点」に指定して避難を支援していくことを決めた。妊婦や子どものいる家庭などには避難を促していく考えだ。
候補地は、南相馬市原町区の1地点、伊達市霊山(りょうぜん)町の3地点。文部科学省によると、4地点の来年3月11日までの推計積算線量は、20.0〜23.8ミリシーベルト。来週にも世帯単位で指定し、1地点あたり数十世帯規模になるという。
対象地点では、市町村を通じて放射線の影響や支援策などの情報を伝える。一律に避難指示や産業活動の規制はしない。
引用ここまで
原文は、朝日新聞ニュースサイトの中の
「高放射線地点を指定、政府が避難支援へ 避難区域外でも」
http://www.asahi.com/national/update/0616/TKY201106160566.html
です。
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『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
20ミリ超“ホットスポット”は4地区…文科省
引用ここから
20ミリ超“ホットスポット”は4地区…文科省
画像
避難指定区域の地図
文部科学省は16日、東京電力福島第一原発事故による警戒区域、計画的避難区域の外で局地的に放射線量の高い地点がある福島県伊達市、南相馬市内で車を使って実施した放射線量調査の結果を公表した。
「特定避難勧奨地点」の判断材料となる年間線量が20ミリ・シーベルトを超えるとみられるのは、第一原発から33〜55キロ離れた同県伊達市霊山町石田の2地点、同上小国の1地点、南相馬市原町区大原の1地点の計4地点。
4地点は、これまでも高い線量が検出されていた。文科省や同県などで、この付近に集中的に車を走らせて測定する調査を今月5〜6、10〜14日に行い、これらの地点の周辺を含む計227か所で線量を計測した。4地点と付近の60か所で、事故発生からの1年間の積算線量が20ミリ・シーベルトを超える目安となる「毎時3・2マイクロ・シーベルト以上」を記録した。最も高かったのは、伊達市霊山町上小国の同6・6マイクロ・シーベルト。南相馬市原町区大原に近い原町区高倉でも同5・6マイクロ・シーベルトだった。
(2011年6月16日21時12分 読売新聞)
引用ここまで
原文は、読売新聞ニュースサイトの中の
「20ミリ超“ホットスポット”は4地区…文科省」
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110616-OYT1T00963.htm
です。
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『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
20ミリ超“ホットスポット”は4地区…文科省
画像
避難指定区域の地図
文部科学省は16日、東京電力福島第一原発事故による警戒区域、計画的避難区域の外で局地的に放射線量の高い地点がある福島県伊達市、南相馬市内で車を使って実施した放射線量調査の結果を公表した。
「特定避難勧奨地点」の判断材料となる年間線量が20ミリ・シーベルトを超えるとみられるのは、第一原発から33〜55キロ離れた同県伊達市霊山町石田の2地点、同上小国の1地点、南相馬市原町区大原の1地点の計4地点。
4地点は、これまでも高い線量が検出されていた。文科省や同県などで、この付近に集中的に車を走らせて測定する調査を今月5〜6、10〜14日に行い、これらの地点の周辺を含む計227か所で線量を計測した。4地点と付近の60か所で、事故発生からの1年間の積算線量が20ミリ・シーベルトを超える目安となる「毎時3・2マイクロ・シーベルト以上」を記録した。最も高かったのは、伊達市霊山町上小国の同6・6マイクロ・シーベルト。南相馬市原町区大原に近い原町区高倉でも同5・6マイクロ・シーベルトだった。
(2011年6月16日21時12分 読売新聞)
引用ここまで
原文は、読売新聞ニュースサイトの中の
「20ミリ超“ホットスポット”は4地区…文科省」
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110616-OYT1T00963.htm
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
ホットスポット4地点を指定、福島県南相馬と伊達、政府が避難を支援
引用ここから
ホットスポット4地点を指定、福島県南相馬と伊達、政府が避難を支援
2011.6.17 02:00
政府の原子力災害対策本部(本部長・菅直人首相)は16日、東京電力福島第1原発周辺の警戒区域、計画的避難区域の外の地域で、局地的に事故発生からの年間累積放射線量が20ミリシーベルト超が推定される地点(ホットスポット)について、住民避難を住居単位で支援、促進する「特定避難勧奨地点」に指定すると発表した。同日、原子力安全委員会(班目春樹委員長)に報告し、安全委は了承した。
これまでの調査では、福島県伊達市霊山(りょうぜん)町石田、同町上小国と、南相馬市原町区大原の3地域4地点が対象になる。
今後、モニタリングで年間被曝線量を調査。現地災害対策本部が県や関係市と協議して指定の可否を決める。指定地点の居住者にはモニタリング結果や活用できる支援措置などを説明、避難先を紹介した上で被災証明を発行する。
枝野幸男官房長官は16日の会見で「政府として一律に避難を指示したり、産業活動を規制したりすべき状況にはない」と述べ、特定避難勧奨地点に指定しても、基本的には避難を求めないとの考えを強調した。ただ、同地点で妊婦や子供が生活している世帯については避難を促すという。
ホットスポット 周辺に比べて局地的に数値が高い領域のこと。周辺より温度が高い場所という意味でそう呼ばれる。原発事故では、放出された放射性物質が周囲と比べて高濃度に降下、蓄積し、高い空間放射線量が検出される地点のことを指す。
引用ここまで
原文は、毎日新聞ニュースサイトの中の
「ホットスポット4地点を指定、福島県南相馬と伊達、政府が避難を支援」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110617/plc11061702000002-n1.htm
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
ホットスポット4地点を指定、福島県南相馬と伊達、政府が避難を支援
2011.6.17 02:00
政府の原子力災害対策本部(本部長・菅直人首相)は16日、東京電力福島第1原発周辺の警戒区域、計画的避難区域の外の地域で、局地的に事故発生からの年間累積放射線量が20ミリシーベルト超が推定される地点(ホットスポット)について、住民避難を住居単位で支援、促進する「特定避難勧奨地点」に指定すると発表した。同日、原子力安全委員会(班目春樹委員長)に報告し、安全委は了承した。
これまでの調査では、福島県伊達市霊山(りょうぜん)町石田、同町上小国と、南相馬市原町区大原の3地域4地点が対象になる。
今後、モニタリングで年間被曝線量を調査。現地災害対策本部が県や関係市と協議して指定の可否を決める。指定地点の居住者にはモニタリング結果や活用できる支援措置などを説明、避難先を紹介した上で被災証明を発行する。
枝野幸男官房長官は16日の会見で「政府として一律に避難を指示したり、産業活動を規制したりすべき状況にはない」と述べ、特定避難勧奨地点に指定しても、基本的には避難を求めないとの考えを強調した。ただ、同地点で妊婦や子供が生活している世帯については避難を促すという。
ホットスポット 周辺に比べて局地的に数値が高い領域のこと。周辺より温度が高い場所という意味でそう呼ばれる。原発事故では、放出された放射性物質が周囲と比べて高濃度に降下、蓄積し、高い空間放射線量が検出される地点のことを指す。
引用ここまで
原文は、毎日新聞ニュースサイトの中の
「ホットスポット4地点を指定、福島県南相馬と伊達、政府が避難を支援」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110617/plc11061702000002-n1.htm
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
2011年6月7日火曜日
福島第1原発:「ホットスポット」 避難区域への追加検討
引用ここから
福島第1原発:「ホットスポット」 避難区域への追加検討
政府は6日、福島第1原発事故をめぐり、福島県内の避難区域以外で、年間20ミリシーベルトを超える放射線量が計測された「ホットスポット」と呼ばれる場所について、避難区域に追加することを含めて地元自治体と協議する方向で検討に入った。
公明党の斉藤鉄夫幹事長代行らが6日、国会内で政府に放射線対策を申し入れた際、福山哲郎官房副長官が「福島県南相馬市などの一部で局地的に放射線量が高い地域については、桜井勝延市長らに状況を説明して避難するかどうか相談する」と述べた。
ホットスポットとは、放射性物質が大気中に放出された際に、雨などの気象条件や地形によって同心円状に広がらず、不規則に広がって局地的に放射性物質が高レベルで検出される場所。
毎日新聞 2011年6月6日 23時03分
* 福島第1原発:1、2号機炉心溶融 「東電解析より早期」
* 福島第1原発:周辺断層、地表に 耐震設計上「考慮せず」
* 福島第1原発:24時間「見守り隊」 全村避難の飯舘村
* 福島第1原発:ごく微量のプルトニウム検出 事故で放出か
* 福島第1原発:全体会議の様子を写真公開 日の丸と激励
引用ここまで
原文は、毎日新聞ニュースサイトの中の
【福島第1原発:「ホットスポット」 避難区域への追加検討】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110607k0000m040127000c.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
福島第1原発:「ホットスポット」 避難区域への追加検討
政府は6日、福島第1原発事故をめぐり、福島県内の避難区域以外で、年間20ミリシーベルトを超える放射線量が計測された「ホットスポット」と呼ばれる場所について、避難区域に追加することを含めて地元自治体と協議する方向で検討に入った。
公明党の斉藤鉄夫幹事長代行らが6日、国会内で政府に放射線対策を申し入れた際、福山哲郎官房副長官が「福島県南相馬市などの一部で局地的に放射線量が高い地域については、桜井勝延市長らに状況を説明して避難するかどうか相談する」と述べた。
ホットスポットとは、放射性物質が大気中に放出された際に、雨などの気象条件や地形によって同心円状に広がらず、不規則に広がって局地的に放射性物質が高レベルで検出される場所。
毎日新聞 2011年6月6日 23時03分
* 福島第1原発:1、2号機炉心溶融 「東電解析より早期」
* 福島第1原発:周辺断層、地表に 耐震設計上「考慮せず」
* 福島第1原発:24時間「見守り隊」 全村避難の飯舘村
* 福島第1原発:ごく微量のプルトニウム検出 事故で放出か
* 福島第1原発:全体会議の様子を写真公開 日の丸と激励
引用ここまで
原文は、毎日新聞ニュースサイトの中の
【福島第1原発:「ホットスポット」 避難区域への追加検討】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110607k0000m040127000c.html
です。
アクセスが急増したり万一記事削除されて読めなくなったときのため、ここにコピペ保存しています。
『ひなげし陽気』の中の「ホットスポット」の参考記事にさせていただきました。
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